たほ日記

生活一般、読書、美容、恋愛など

私の化粧と顔についての話

今まで取り立てて発信していなかったことなのだが、実は私は化粧品が好きで、結構詳しい。

好きであるということと、職業的にコスメブランドは色々知って居た方が良いということもあって、「どこどこのアレ」と言われたらその化粧品の商品ビジュアルと色のラインナップはだいたい思い浮かぶ。友人が使っている化粧品などは、何気に凝視していたりする。

私が興味を持ち出したのは、本格的に化粧をするようになった大学生くらいからであるが、当時から年齢のわりには化粧品になかなかの額を費やしていたように思う。頑張ってシャネルやディオールも積極的に購入していた。

カメラロールに入っている自分の最古の写真は2013年(大学生)なのだが、かなりしっかりとした化粧を施している。ていうか濃い。デビューして間もない頃の「シド」のマオにそっくり。恥ずかしいと思うと同時に、可愛くなろうと日々頑張っていた自分を抱きしめたくなる。(今も含めて)試行錯誤の毎日は続いているのだ。

私の顔の要素をざっと挙げると、輪郭は卵型、色白、目は二重で大きめ、鼻は高いが丸め、口のサイズは普通で色素ほぼ無し。これだけ文字に起こすとなんだか無難な美女っぽいのだが、いざ実物を見るとおでんの具にありそうなほくほく顔で、なーんか野暮ったい。学生の私は日々化粧をしながら随分とこの謎のギャップ(要素と実情)を埋めようと努力しており、大学3年生のある日、結構すごい出来事が起こった。

 

忘れもしない秋の昼下がり、大井町駅。私は東急大井町線から京浜東北線に乗り換えようとしていた。大井町線のホームを一人でとぼとぼと歩いていると、後ろから男性に声を掛けられた。昼間からナンパされたのである。相手の顔もろくに見ないまま無視したら食い下がって来たので、はっきりと無言で拒絶のポーズをしたのだが、それでも全く引く様子がない。色々と捲し立てられ、相当しつこかったのを記憶している。そこで私は、(もうどうにでもなれ)と「あの!!僕、男なんです!!!」と低めの声で言ってみた。その時の私は赤みブラウンのアイシャドウに青みピンクのチーク、服装は全身MILKのフリフリだったのでそれを逆手に取り、加えて当時福山潤の声マネを練習していた(理由は別稿に譲る)ので、これを駆使して演出してみた。オタク女の超イタタエピソードである。(今でこそ笑いながら話せるが、それまでは思い出す度に足をジタバタさせていた)

当然ながら相手は「!?」という顔をし、その後すぐに「マジでキモすぎ」と捨て台詞を吐いて去っていった。マジでキモすぎはさすがにちょっとショックだったが、目論見通りにいったという意味ではこれで良かったのだと私は安堵した。

しかし、この様子をしっかり見ている人間がいた。私が京浜東北線のホームに到着し、列に並んで電車を待っていると、また後ろから声を掛けられた。今度は女性である。振り返ると、ニキビ面で肥満体型の女性。私は本能的に(なんかマズいことになったな)と悟った。女性は終始テンパった様子で「さっきのやりとり見てたよ」「男の子なんだってね」「事務所どこなの?」「●●(当時ちょっとだけテレビに出てたクソマイナーな俳優)って知ってる?繋がりある?」などと尋ねてきた。私は彼女の質問にどれ一つとして答えることができなかったが、見るべきは“彼女は私が男であることに確信を抱いてしまっている”という事実であった。めっちゃショックだった。

この出来事によって、私は自分の顔がどうやら男っぽいらしいということに気づいたのである。趣味や服装の好みからして完全にフェミニンな自分を信じて疑っていなかったのだが、「顔」という最大のファクターで自己疎外するという意味不明の事態に陥っていたのだ。そういえばロンドンハーツの企画で女装したはんにゃの金田とたほが激似って友人たちが騒いでいたこともあった。私は自分の顔をわりと長い間見誤っていたのだ。

 

そこから、私は化粧を見直し、元来の顔立ちと内面をすり合わせるには、「他人から見れば所詮おカマっぽいフェミニン」から離れたソフトな化粧が必要だという結論に至った。その後就活なども経て、徐々に化粧は自然になってゆき、今はあまり「顔が男っぽい」とは言われなくなった。

ちなみに、自然な化粧の最大のポイントは、薄づきの化粧品を選ぶことだ。@cosmeなんかで「発色が神!」なんて書かれているものはマイナス要素として参考にする。

f:id:templed0:20190310002136j:plain

現在使用しているコスメ一式。色物は基本的にCHICCAでしか買わないことにしてる。

最近はブルベイエベなんて言葉も頻繁に聞くようになった。自慢じゃないが私は高校生のときからパーソナルカラーについては色々と勉強しており、2ちゃんねるのブルベスレに噛りついていた。(当時の化粧板は結構面白かった。今でも忘れられないのは「小沢一郎の使用コスメを特定するスレ」)

しかし肝心のパーソナルカラー診断には行ったことが無い。見た感じとりあえずブルベで間違いなさそうなのだが、確証は無い。さっさと行ってスッキリしたいのだが、今さらイエベですって言われて全てを見直す羽目になるのも怖い…。

美容誌を読むと、本当に様々なメイクの提案に満ち溢れている。抜け感メイクに小顔メイク、モテメイクや温感メイクなど数え切れないほどあるが、化粧というのは最後は誰のためでもなく自分のためでしかないから需要があり続けるのだと思う。実際、ある日ブラウンアイシャドウの色みを変えたところで誰が気づくってんだ、という程度のものなのだし。

この理論でいえば、図らずも男に内定してしまった大学生の私も自分のためのメイクを楽しんでいたのだから良いじゃん、ってなるのだが、やっぱりそれでも物事には限度があるよねって話である。

エンジン

春コミお疲れさまでした。もしこれを読んでいる方でスペースにお立ち寄りいただいた方がいらっしゃれば、ありがとうございました。お陰さまで、新刊のコピー本は完売いたしました。(ごく少部数ですが。)

 

ブログの更新に20日ほど間があいてしまったが、ブログを書く暇が無いくらい忙しく、そして充実した20日間であった。

やっぱり、同人イベントほど面白い活動は無い気がする。春コミで購入した数冊を今読み終えたところだが、どれもハズレなしで素晴らしく、久しぶりに二次創作で心が揺れる感覚を得て幸せな気持ちになった。

二次創作の良さは、親友と話す恋バナ(死語か?)のような愉しみだ。見ず知らずの人の作品であっても、共通の友人がいるようなもので「そうそう、この人そういうところあるよね〜〜!」と気持ちが盛り上がる。本屋で小説を選ぶというとは違う感覚で、「話の合う友人」の本を買いたいと思う。その中でその人の画力や描写力、あるいは言葉選びのセンスといったものに感嘆し、共鳴し、影響されてまた自分も書きたくなるというポジティブな循環へと繋がっていくのだ。

先日の春コミでは、私の書くものが好きだと言ってくれた人などもいて、とても励みになった。創作活動の内容に限らず「私」を好きだと言ってもらえているような気がした。(言ってくれた人がそういう意図ではないというのはもちろん自覚している。)なぜなら、二次創作であれなんであれ、私が書いたものは確実に私の命が吹き込まれいてるからだ。

 

今回の芥川賞を受賞した町屋良平「1R1分34秒」はとても素晴らしい小説だった。この良さについてずっと考えているのだが、なかなかうまく言語化できていないので、もし興味がある人は読んで私に感想をぜひ聞かせて欲しいと思う。

これは拳闘小説なのだが、先日新聞を読んでいたら作者の町屋良平氏が「ボクシングと小説の親和性」について、「自分の体から表現されたものがどうなっているのかを毎日確認しながら積み重ねて行くところ」と話した、とあった。私はこの言葉が心に残っている。小説を書くという行為について、自分の「体」から発信されているとは今まで考えたことがなかったからだ。

この言葉を踏まえて「1R1分34秒」を読んでみると、なるほどフィジカルの強い人間から培われた物語や言葉がそこにあるように見えてくる。たまにニュース番組でスポーツ選手のインタビューなんかを流し見していると、急に心が捉えられる言葉が飛び出して来ることがある。私が一番良いと思ったのが、卓球の福原愛選手(もう引退してるけど)が、団体戦の主将として心がけていることについて「選手みんなの心の温度を同じに保って行くこと」と答えたものだ。技術や勝負強さ、あるいは身体性といったものは心によって裏付けされていることを熟知した言葉であり、スポーツについてはてんで素人の私のとっては新鮮に響いた。

掃除機をかける、電車に乗り遅れないように走る、食事をする、電卓を打つ…そういった私の日常での肉体のはたらきが物書きする場面でも当然作用していて、同時に文字として残るという意味で書くということは特別だ。よく作家が自分の作品を「分身」と表現することがあるが、私の中でこれがより真実味を伴ってきている。

 

正直なところ、私は自分に文才があるとは思えない。面白いシチュエーションや誰にとっても分かりやすい文章というものは頑張れば書けるかもしれない。ただ残念ながら、読んだ人にぐさっと刺さってその人の日常のなかでしばしば思い出されるようなものを書く技術や才能は足りていないと思う。これは私が日々プロでもアマでも色々な人の書いた文章を意識的に読んでいるなかで得た実感でもある。

でも、もし私に長所があるとすれば、書くということに対するエンジンは常に回っているということだ。このブログを書いていても、次はこれ、次はあれについて書きたいなとどんどん考えが膨らんでくる。たまに思うことがあってこのエンジンが切れそうになることがあるが、このときの自己嫌悪はなかなかのものである。ベッドに座ってぼんやり涙を流しているだけの時間は、どこか勿体無い。

 

嬉しいことに、昨日は私のこのブログを読んでいると言ってくれた人にも出会うことができた。何か具体的な夢があって書いているわけではないが、「あれよかったよ」と面と向かって言ってくれる人に出会えるのは夢のような出来事である。

 

春コミはペダルでスペースを出したけど、次はヒプマイで夢小説か何かやってみたいなあ。一二三が女から巻き上げた金で買った食材で、独歩のあのほっそい身体が出来上がっていると想像すると、何か形にせざるを得ないように思う。そして、二次創作じゃなくて自分のオリジナルの小説というのも書きたい。実はこれは今まで何度も試みているけど、ちゃんとしたものが出来上がったことはまだ無い。次こそは自分の肉体を信じてリベンジしたいと考えている。

ボランティアの扉を叩く

先日実に良いタイミングに恵まれ、学習支援に携わる方の話を聞き、実際に現場を見学させてもらった。ここでいう学習支援とは、家庭の経済的な事情によって塾に行けない子どもに無償で勉強を教えるボランティアのことを指す。

そういう現場があることはなんとなく知っていたが、実際に行ってみようとなるまでには結構な葛藤があった。まず私には学習指導の経験がほぼゼロである。学生時代、ありとあらゆるアルバイトを経験してきたが、人に何か教えることだけは全く触れてこなかった。部活やサークルに打ち込んでいたタイプでもないので、後輩という存在すらあまりピンと来ないレベルだ。そして、もちろんボランティアの経験もゼロ。

学習指導自体は慣れればなんとかなるだろうと楽観的に見ていたが、ボランティアについては意識的に避けて来たという部分もあったので余計迷いがあった。私の手に負えないリベラルがそこにありそうだからだ。話を聞きに行ったら最後、「安倍政治をゆるさない、戦争法(安保法制)反対、脱原発!」などと唱えられ、首を縦に振らないと帰らせてもらえなかったらどうしようという不安があった(今挙げたような思想が悪いとは特に思っていないとして)。

しかしこんな妄想ばかりしていても事は一向に進まない。せっかくチャンスが目の前にあるのだ。もし、その場で少しでも政治色もしくは宗教色のある「勧誘」があったらお茶を濁して逃げよう。加えて、実は活動内容が私が思っている以上に福祉性が強かったらこれも(荷が重いので)丁重にお断りしよう。以上のマイルールを取り決め、私は決意を固め向かったのであった。

結論から先に言うと、このマイルールは杞憂であり、私のボランティアに対する負のイメージはひとまず払拭された。(よく考えたら今回のこの活動は運営元の肩書きからして「勧誘」は有り得ないことであり、単に私の考えすぎだった。)逆に、「政治や宗教を超えた、もっと高い次元の理念をもとに活動している」みたいな感動も特に無かった。なんというか、みんな淡々と目の前の業務をこなしているという印象に近い。

話をしてくれた方も「聞いてみて違うなと思ったら全然帰ってもらって大丈夫なので。」と何だかクール。まず、基礎知識として貧困家庭の子どもがおかれている教育問題についての語ってくれた。これが知っているようで知らないことが多く、非常に勉強になった。

日本には「子どもの教育」という面で見過ごせない問題が山積みになっている。私たちそれを知ったり、実際に目の当たりにしたりすると、思わず社会を抜本的に変えられないものかと憂いてしまいがちだが、それよりもまず目の前の子どもにできることをやっていこうよ、というのが活動の趣旨。とてもシンプルでわかりやすい。

そこから話は実践編に移る。実際の活動内容の説明と、学習指導における簡単なレクチャー(指導教科の分担から異性の子どもに接する際の注意事項まで幅広い)を受けたあと、さあ現場を見てみましょうということで近くの大部屋へ早速移動。

レクチャーのなかで、家庭に事情を抱えている子どもの傾向の一つとして「試し行動」(初対面の大人にあえて反抗的な態度をとって様子を窺う)というものがあると聞いて少しビビった。「(分かっていても、いきなりそんな態度取られたらショックだろうな…)」と思いながら扉を開けたが、そこは至って平和な雰囲気だった。陽の差す明るい部屋で子どもは各々自分のペースで勉強し、わからないところがあるようなら大人(大学生からおじいさんまでいた)が近すぎない距離感で淡々と教えてあげる。これが適切な言葉かは分からないが、ボランティアらしい色や個性は全く無かった。私の随分身勝手なイメージで、もう少し暗い雰囲気の子どもと奉仕に勤しむ大人のコントラストがあると思っていた分、この光景はまさにリアルだったといえる。

「子どもたちが行きたくない場になってしまったら元も子も無いので、指導するような言動は控えてください」という説明があった通り、指導ではなく支援というスタンスが一貫している。そのお陰か、学校や塾ではお目にかかれない優しい時間が流れていた。私も部屋をくるくると周りながら、使用されているテキストなどをさりげなく観察し、一言二言子どもと会話をしてみる。話しかけると「試し行動」はおろかみんな驚くほど素直でびっくりする。私のほうが人見知りじゃないかと恥ずかしくなるくらいだった。

最初に話をしてくれた人の「何はともあれ子どもは本当に可愛いですよ。私は現場の仕事がとても好きです。」という言葉が脳内をよぎり、とてもよく分かる、と噛み締めた。この子たちみんな幸せになってほしいなと心から思い、なぜか目頭が熱くなった。私は子どもは好きだが、日頃こういうことを想っているタイプでは全くないので、どうしてこんなに気持ちが昂ぶったのかはよくわからない。ボランティアマジックだろうか。

子どもたちが帰った後のちょっとしたミーティングも見学させてもらった。子どもがいなくなるだけで場の空気が一変するのが面白かった。失礼かもしれないが、空気が少しだけ錆びる。私でもよく知っている、どこにでもあるお馴染みのミーティングのひな形だ。ここで初めてボランティアの大人それぞれの個性が見えてくる。

例えば、「Aくんは今日この教科のここが苦手だったようだけど、次回はどのように教えましょうか?」といった話題について、「そもそも日本の学習指導要領は〜…自分が海外に住んでいたときは〜…」と言い出す人がいたのにはギョッとしたし、司会役がそれをうまーく適切にいなしていたのは感動した。色々な人が集まってくる場なので、日本を憂う小難しい人間の相手も皆お手の物なのだろう。口の悪い私なら「うわ〜(笑)今その話要らなくないですか?」とか反射的に言いかねないので、こういった面でもとても勉強になる。

 

帰りがけに、大学生の女の子から「毎回こんな感じでやっていますので、お忙しいとは思いますが、お時間あるときにお力を貸してください。今日はありがとうございました。」と声をかけられた。小柄で可愛らしく、とても心が綺麗そうな女の子だった。私が大学生のときは周りにこんな子一人もいなかった。私は社会人生活を経て徐々に老婆心が目覚めこのようなことを始めた次第だが、この子は学生の時点で目を向け活躍しているのだ。彼女たちのことを何も知らないで「意識高い系(笑)」とか「カンボジアに井戸掘ってる系男子(笑)」とか揶揄してた頃の自分をぶっ飛ばしてやりたい。

私も、学生時代に煙草をバカスカ吸いながら大量のビールを飲んでは即座に吐き、吐いたものを見て「え、これまたビールとして飲めるレベルで新鮮じゃね?」とか騒いでいる暇があれば、もう少し頭を働かせて色々な現場を見に行ってみれば良かったと思う。新しく物事を始めるに遅すぎるということは無いのだろうが、子どもにスポットライトを置いた活動は、学生のうちからやっておけば良かったと思うことの一つだ。子どもにとっても学生のほうがきっと親しみやすいし、学生にとってもまだ子どもの視点を完全に忘れていないので、より適性があるように思う。働き始めると、どうも余計なことばかり言い出したくなってしまう。

一方で、帰り道が一緒になった主婦の人からは「まだまだ遊び足りないくらい若いのに、とても偉いですね(文字におこすと微妙だが、全く嫌味ではなかった)」と言われた。そうか、私はまだまだ遊び足りないくらい若いのか。なのにボランティアをやろうとしてる。若いのに。確かにふと「私どこに向かってるんだろう?」と思うことはある。でも、毎日フルスロットルで遊びまくろうという気持ちは、もはや薄れつつある。そういう意味では今までバカみたいに飲みまくってたのも悪ではなかったといえるのか。

とりあえず、やれるだけやってみようと思った。新たな場所でこちらも無償で勉強させていただくのだ。

 

昨日母と電話をし、最近の休日はどう過ごしているのかと尋ねられ「家庭に事情がある子どもに勉強を教えようと思っている」と答えた。すると母は絶句したのち「また突拍子もないこと始めるんだねアンタは。立派だけどさ…まさか宗教とかじゃないよね?」と言い、私は笑って否定した。やっぱり、入口はそうなるよね。

 

BL談話

2月末のイベントでスペースを出すことになったので、またそれに向けた小説をそろそろ書き始めなくてはと考えている。ジャンルやカップリング、内容などは明記しないが、最近私はあることに戸惑っている。

年をとるにつれて、BLというものが全く分からなくなって来ているのだ。

たとえばツイッターのタイムラインに二次創作が流れて来て、節々に「萌える〜〜〜♡」と思う時があるにはあるのだが頻度としてはさほど多くないし、数年前のように自分からも何か泉のように溢れ出ては発信していくというエネルギーは随分と薄まっている。

昔の自分の創作物を引っ張り出しては、「ああ、こういうこと書きたかったんだろうな。わかるよ、お前これ書いてた頃この話しかしてなかったもんな。」と自分を理解こそすれど、今もう一度同じ性質のものを生み出せと言われたら相当難しい。文体はウェットで内容もサッドコア極まりない。こんな不健康が滲み出るようなもの、今は書けんぞ。一体当時の私は何がそんなに辛くて苦しくてこんな悲恋をオカズによろしくやっていたんだろう。今はもっと丸くなっているし、日々辛いこともあるが人を元気にできたら良いなとか考えるようになっている。私も随分と社会的になったものだ。

こういうことがあるから定期的にブログであれ小説であれ、まとまった文章を残しておくという作業はやめられない。

 

どんなコミュニティでも我々の世代なら一定程度盛り上がる(?)話題として、宇多田ヒカルの「DISTANCE」と「FINAL DISTANCE」どっちが好きか問題がある。私は圧倒的に前者だ。実は先に聴いたのはFINAL...のほうで、重厚な楽曲とあの先進的なPVとが相まって私は初めて聴いたときかなりの衝撃を受けた。心に刺さる名曲だと真面目に思った。ところがそれから暫く経った後、「DISTANCE」という元の曲があることを知った。聴いてみたら、「あ、こっちのほうが明るいけどどこか寂しい感じがして好きだな」と即こちらに軍配が上がったのであった。

「楽しいのに、幸せなのに、悲しい、あるいは寂しい。」という言葉が当てはまるものに私は今も昔もずっと惹かれている。それはそれこそ音楽でも、小説でも、絵画でも、シチュエーションでも何でも良い。ふと当てはまるものに出会ってしまうと、途端にぐっと心が掴まれて釘付けになる。逆に言えば、「疑いようもない幸せ」のようなものはなかなか受け入れられない。まばゆいほどの光に対しての、ほんの一筋の影のようなものを私は信用しているし、いつも探しているし、表現してみたい。

この考えは言語化こそ最近の話だが、常に通底していたものなので、お陰様で趣味や好みが時によって大幅にぶれることはない。私は短調の曲が好きだし、ハネケの映画を繰り返し観るし、倉橋由美子の小説をとりあえず人に勧めるし、学生サークルを見るとイラつくし、LINEで絵文字を使う男性が苦手だし、ジャパレゲ(死語か?)を聴くとアホみたいに疲れる。だから、BLについても選り好みをしてきたし、特に商業BLについては本当にごく一部しか見ない。好きな作家やカップリングについては思い出す度に細々とチェックしてきてはいたものの、最近に至っては仕事をするようになって自分も疲れたのか、BLという根底にあるシステムの限界を感じ始めかけている。

数少ない私の手元にある商業BLのなかで永井三郎氏の「スメルズライクグリーンスピリット」という作品がある。そこのラストにて、あるキャラクターがゲイの主人公に対して「俺さ…これからも…お前のこと…考えていきたい」と言うシーンがある(このセリフにたどり着くまでのプロセス含め、私はここを読んだ時に心が決壊して床でのたうち回った)。私の今のBLに対する気構えは正にこんな感じだ。システムに限界とか御託を並べたくなる一方で、それでもやっぱりこれからもお前のこと考えていきたい。

 

先日飲みに行っていて、そのまま友人宅に泊まらせてもらう流れとなった。しかし、私ひとりが一向に眠れず、勝手にその家のNetflixを起動して「テニスの王子様」のアニメを明け方までずっと視聴していた。まずは一番好きな第27話「カルピンの冒険」を観て(久しぶりに観たのにセリフをほとんど全部覚えていた)、その次は関東大会決勝の桃城・海堂vs丸井・ジャッカル戦を観た。この話はもちろん丸井くん目当てで選んだのだが、桃城と海堂ってこんな濃密な関係だったっけ?と何故かそちらが気になってしまった。気合いを入れるためにお互いの頬を殴り合ったり、ブーメランスネイクを攻略されてフリーズしてしまった海堂を「(お前が一番辛いよな、海堂…)」とか言いながら身を挺してカバーする桃城がいたり。うーん、めっちゃBLっぽいやんけ。でも申し訳ないが、そこには底抜けの暑苦しさと努力の色が見えるので全く好みのBLではない。一応まだ少しは私も鼻がきくようだ。

アニメの丸井くんは自分が妙技を繰り出す時以外は、相手がどんな振る舞いをしていようと終始興味がなさそうな様子だった。そうそう、彼のこういうところがめちゃくちゃ好きなんだよ私はー…。とか書いていたら夜も更けてしまった。肝心の自分の小説は、明日から取りかかるとする。

「限局性激痛」って結局なんなのよ?

「ソフィ カルー限局性激痛」原美術館コレクションより  を鑑賞した。

 

限局性激痛とは、元は医学用語で身体の特定の部分の鋭い痛みのことを指すらしい。いかにもメンヘラアーティストが新たに創作しそうな言葉が医学用語として既出であるというのは少し不思議な感じがする。

 

カル自身の失恋体験による痛みとその治癒を、写真と文章で作品化したものです。人生最悪の日までの出来事を最愛の人への手紙や写真で綴った第一部と、その不幸話を他人に語り、代わりに相手の最も辛い経験を聞くことで、自身の心の傷を少しずつ癒していく様子を、美しい写真と刺繍で綴った第二部で構成されます。

(以上、原美術館の「展覧会概要」より抜粋。)

 

ここでの最愛の人とは、もとは父親の友人らしい。相当な年の差があっただろう。思わずマクロン大統領と彼の奥さんを思い出してしまった。うーん、フランスっぽい!

第一部の写真と文章は、美術としてぐっと刺さるというよりは、一つの読み物として非常に興味深いものがあり、好みの小説を夢中で読み耽るような錯覚に陥った。同時に、美しい写真が飛び込んで来る。1980年代の日本。私は生まれてこそいないが、そうギャップも感じないお馴染みの景色。それがカルのファインダーを通すだけで妙に異国っぽく見えてしまう。何よりも、彼女が目にしているもの、手にしているものは非常に上質だ。

今井俊満に招かれると、そこにはカルの恋人を象ったイヴ・クラインの作品が。彼女はその前日に行きずりのイタリア人と寝ており、その作品を見つけて「あなたがもう化けて出てきたのかと思った」と綴る。この一連にはクラっときた。稀有なシチュエーション、豪華すぎる登場人物、少女らしくもウィットに富んだ言葉のコンボに憧れを抱かざるを得ない。

寂しさや悲哀、やり切れなさのようなものは恒常的に漂っているものの、それなりに楽しいであろう瞬間や、様々なものを写真として残していくエネルギーは残されているのが第一部であった。

 

第二部では一変、たった一枚の写真が徹底して何枚も展示される空間となる。数分の電話で別れを告げられたホテルの一室の写真である。写された室内に据えられた赤い電話を見過ぎて、鑑賞後しばらく目蓋の裏に赤い点が焼きついた。

写真の下には刺繍で綴られた文章が掲げられ、何度も何度も同じ別れのシーンを少しずつ文言を変えながら描写している。これと交互に、カルが聞いた他人の不幸話がこれまた美しい写真とともに展示されている。

他人の不幸話は一つ一つ多岐に渡っているが、カルの物語は一貫して同じ失恋である。はじめはまるで無限ループか?と思うくらいに同じ情景がくどくどと文章で繰り返されるが、日が経つごとにそれは少しずつシンプルに、言葉選びもスッキリとしてくる。失恋という痛みが癒えていく過程を感じさせるといえば感じさせるのだが、終盤に近づくにつれ自分の話を「よくある、ありきたりな失恋話」と片付けていくようになるのは、見ていて少し悲しくなった。私自身がよくやる感情の始末の作法とそっくりだったからである。結局、みんな心は同じ離れ小島に漂流してしまうのかと考えると、人間の感情処理のキャパシティは案外小さいなと思う。

 

「限局性激痛」というタイトルについても、少し考えてみたい。人それぞれ違う解釈が生まれるところだとは思うが、私はこのタイトルがとても実践的であるという感想を持った。例えば私は失恋ないしはそれに近いことに直面したとき、必ず胃が鋭く痛む。厳密にいうとそれは胃ではないのだろうが、胴の中心がざっくりっと刺された心地だ。本当に痛むのはひと時だけで、その後はじわじわと慢性的な憂鬱が全身を蝕んでいく。ちょっとした心の病気になり、やがて治るといった具合で、「限局性激痛」は特別ではない、誰の手元にもある実際の痛みなんじゃないかと思う。

もしソフィカルがこの文章を読んだら「ちげえよばーか」と言われるかもしれないが、この解釈は少なくとも「限局性激痛」という言葉には沿っているはずだ。車で撥ねられたようなインパクトが無いから他人には何でもないように見えるけど、深く強く痛む非常に個人的な傷。

 

これは展覧会の内容とは関係ない話だが、私が行った土曜日はとても混んでいた。こんなアクセスの悪い美術館に多くの人が集まるのは心底不思議だった。(自分もわざわざタクシー乗って行ってるくせに)そしてその分、鑑賞マナーの悪い人が多く目立った。

音の響く空間でぺちゃくちゃと喋る男女。人物を細かく写した写真を、まるでサイゼリヤの間違い探しのように至近距離で覗き込み、「難しい〜〜わかんね〜〜ww」などと騒ぎ立てる。もちろんその間、鑑賞する人の流れは堰き止められてしまっている。よほど直接注意しようかと思った。うるさいですよ、分からないなら帰ったほうがいいんじゃないですか、って。でも、相手はカップルだしなぁ。「一人で何しに来たんすかw」とか言い返されたらどうしよう。泣くかも。などと考えていたら彼らは勝手に飽きたようでどこかへ行ってしまった。いちいちキャプションを音読する頭の悪そうな学生カップルにも胸がざわついた。どうして自分がこんなにイライラしているのか分からなかった。それでも彼らを切り抜けた瞬間、途端に心は落ち着いてまた鑑賞に集中出来た。そのくらい、私はソフィカルの失恋の追体験に没頭したかったのだろう。男女の笑い声が、最も似合わない展覧会だった。

 

夕方に約束があったので、私は鑑賞後そそくさと美術館を後にし、タクシーが来るのを待った。美術館の出入り口付近には喫煙スペースがあり、そこでさっきの学生カップルが煙草を吸っていた。キャスターマイルドの匂い。漂って来た瞬間、微かに胃が痛んだ。なんなんだ、これは? 久しぶりに嗅いだこの匂いで、しまっていた「何か」をぶり返しそうになる。絶対に悪いもの。私はそれを思い出したくなかったのでグッと堪え、そこでタイミング良くタクシーが現れた。

今これを書きながらも、結局あの時の思い出しそうになった「何か」が何だったのかは謎のままである。近くにキャスターマイルドが無いからか。(っていうか今そもそもキャスターマイルドって無いんだっけ。) でも、いつかは不明であるが「当時」の私はこの煙草とともに何かしらの限局性激痛を味わっていたことは確からしい。しかしそれは思い出せないくらいにさっぱり忘れてしまったと。この事実は、ちょっとした希望になると捉えたほうが幸せになれるだろうか。

 

原美術館は2020年で閉館してしまうらしく、ちょっと寂しい。もっと通えば良かったなと思った。

森絵都「みかづき」を読んで

目に見えて塞ぎ込んでいる人間だけが、助けを求めているわけではないー。

そんなことを不意に思いつき、本物の涙が一粒ぽろりと零れた。

営業の合間、喫茶店でひとり時間を潰しながら「みかづき」の読了を迎えた瞬間のことである。

ネタバレとか気にせず書いていくので、読む予定のある人は注意してください。

 

みかづき (集英社文庫)

みかづき (集英社文庫)

 

 まだ塾というものが世の中に浸透していない時代、学習塾の立ち上げからスタートし、徹底的に「教育」に向き合った親子三代の物語である。作者は森絵都。私は彼女に子どもの頃から本当にお世話になった。小学校高学年のとき「永遠の出口」や「つきのふね」を読み、「世の中にはいろんな人がいるけど、彼らと私にも共通する思いはしっかりとあるんだ」と社会への視野がぐっと広がった感覚は今でも覚えている。間違いなく私に小説を読むことの面白さを気づかせてくれた一人だ。

そんな作家が塾や教育についての物語を書いたらしい。これは絶対読むしかないと息巻いていたのだが、実際に読んだのは文庫版が出てからと随分遅れた。長い小説ではあったが、面白い故あっという間に読み終わった。

私が特に感動したのは、最終章の一郎(塾創業夫婦の孫)のパートである。親や祖父母の生き様を目の当たりにして、教育からは遠ざかっていた彼が、貧しさや家庭の事情から勉強が遅れてしまっている子どもと出会うことによって、「何かできないか」と徐々に動き出していく物語である。平成を背景としているのでより情景が掴みやすく、読み進めていくうちにまるで自分の物語ではないかと錯覚してしまうほどだった。

というのも、私もそういう子どもに対して何かできることはないだろうかと常々考えていたからだ。

 

私は中学、高校、大学2回の計4回入試を体験している。普通の公立学校コースを歩んでいれば高校・大学1回の計2回で済むということを考えると、私のこれはちょっと多い。こうなったのには色々理由があるが、一言で言えば、自分に合った環境を求め続けた結果といったところだろうか。私は子どもの頃から気難しいヤツだったので、常に通っている学校が好きじゃなかったのだ。

なのでその分、私は塾というものには相当馴染みがある。塾は学校と違って、「勉強」だけが目的なので、余分なコミュニケーションも必要なく、授業中の私語でイライラすることもなく、ベストではないが私には学校よりもずっとマシな場所だった。(たまに塾のレクリエーション企画があったが、私は一切参加しなかった)

最も気難しさを拗らせて死にかけていたのは高校受験のときである。私は当時、塾さえも2校辞めている。1校目は学生バイトが私のことをある日を境に下の名前で呼んできたことに憤慨して辞めた。親がよくこんな理由で辞めることを許可してくれたと思う。

2校目なんかは入塾初日で辞めている。その塾は地元で名の通っている実績ナンバーワンの進学塾で、クラスがA・Bとレベル別で分かれていた。入塾初日は下のBクラスからスタートするのだが、私はこの日いきなりクラス内の小テストで満点を取り、先生は私を名指しで褒め、この授業が終わったらすぐにでもAクラスに移動しろと言ってきた。鼻高々なエピソードではあるのだが、当時は所詮中学生だらけのクラス、周りからは白い目で見られた。

授業が終わり教室から出ると、先ほどのクラスで一緒だった女子3人くらいの集団が、私をジロジロと見ながら噂話をしていた。そして、その内の一人が私の姿を舐めるように見て「かーわいー」とニヤニヤしながらつぶやいた。その時の私の服装は、無論、全身Emily Temple cuteである。「かーわいー」は授業で目立ち、ロリータ寸前の変わった服装の私を彼女が嗤って発言したことは言うまでもない。樽のように太り、顔中がニキビに覆われている醜い女子だった。私はこのとき生まれて初めて明確な「殺意」というものを認識したと思う。絶対に殺してやる。ブスでバカのくせに。まずは学力でこいつが絶対に追いつけないところまで到達し、社会に出た暁にはこいつをこき使う立場に就いて、絶対に私に口答えできない世界まで追い込んでやる。確かにこう思った。そして帰宅するや否や、私はこの旨を母にぶつけた。話しながら思わず泣いてしまったのは今でも覚えている。

それから私は一生懸命勉強したのだが、色々な不運が重なり、結果第一志望の高校には入れなかった。それが判明したとき私はリビングでうずくまって泣き、母は「私の目にはあんたは充分頑張ってたように見えるけどね。でも、高校ってのははっきり言って通過点でしかないから、そんな思い詰めなくてもいいんじゃないの」と言った。励ましと慰めのつもりだったと思うが、「高校は通過点」というのはあまりに母らしくない発言で、誰かの言葉の引用だとすぐに気づいた。こうなることも想定して母がこの言葉を用意していたと思うと、ますます情けない気持ちになったものである。結局私は第二志望の高校に入学した。

 

ここで少し話が変わるが、私の地元では高校の「環境推薦」という制度があった。(今もあるのかどうかはよく分からない。)これがなかなか食えない代物で、「自己推薦」や「スポーツ推薦」に並んで家庭環境がよろしくない(生活保護を受けていることなどを指すのだと思う)生徒を「推薦」するのである。一定の学力も求められてはいるが、普通に受験をするよりも入りやすいことは確かで、みんな口には出さないが、この推薦で入ってきた生徒は反感の的となってしまうのは言うまでもない。

少し前に、南青山に児童相談所を建設することで揉めていることがニュースになっていたが、話題になったとき私は真っ先にこの「環境推薦」のことを思い出した。恵まれない環境に置かれている人が決して悪いわけではない、ただ、自分たちが努力をして手に入れた土地に「恵まれなさ」を理由としてやすやすと立ち入られては腑に落ちない。建設反対している人たちの本音はこんなところだと思う。

辛酸を舐めて高校に入学した私も、環境推薦に対してこれと同様の思いを抱えていた。環境推薦で入学した子は、大抵自分がそうであることを明かさないし、周りもいちいち探らないのだが、一人だけ自分が「環境推薦で入れてとてもラッキー」と豪語している女の子がいた。明らかに雰囲気が周りの生徒と違ったことはよく覚えている。こういうことを「当然」といってしまうのも無情であるが、彼女は「当然」周りから少し避けられていたし、知らない間に高校も辞めてしまっていた。

彼女が高校を辞めたということを知ってから数日経ったときのこと。私は友達と遊んでいた帰り、夜の繁華街で彼女を偶然見かけた。詳しいことは書かないこととするが、10代女子の生活からは逸脱している様子であり、私は強い衝撃を受けた。家庭に問題を抱えているのかもしれないが、少し前まで同じ制服を着ていて、同じような10代の生活を過ごしていると思いきや大間違い。彼女が高校を辞める選択をした理由を想像すると、目の前が暗くなった。単なる怠惰かもしれないし、私が塾を辞めたときのように人間関係がバカバカしく思える瞬間が訪れたのかもしれないし、正解は分からない。ただ、今はっきりといえるのは、もし不本意で高校を辞めることになってしまったとしたら、これほど「可哀想」なことはないと思うのだ。

「可哀想」と思うことは、傲慢なのだろうか。私はいつもこの壁にぶち当たる。社会人になってから、教育に関わることに少し興味が湧き始めた。それも少し問題を抱えてしまった子どもに対しての。しかし、私はいじめや不登校、家庭の決裂といった体験はない。ドライなティーンを過ごしてきた。そんな人間が、「可哀想」を出発点としてしまってはいけないんじゃないの!?でも私だって間違いなく学校に対する生きづらさは常に感じてきたんだ!勉強したいだけなら、塾にだけ行っていればいい!でももし、塾のお金なんてさらさら払えない環境にいたら?…考えの収拾がつかなくなる。

 

みかづき」の一郎も同じような壁にぶつかっていた。だから私は目が離せなくなったのだ。それでも物語の中で苦戦しながら、塾のお金が払えない子の勉強の面倒をみる勉強会を作り上げた彼は立派である。私は特に具体的な行動を起こしているわけではないが、似たようなことにチャレンジしてみたいから勇気付けられる。でも、所詮は物語だし、とここでもまた急に思考がぐるぐると旋回し始める。

ただ、作中、自ら勉強会に入りたいと志願する女の子からの電話を受けた後、一郎が「やっと、俺たち、届いたよ。」という場面で私は確かに涙が零れたのだ。本を読んで泣いたのは何年振りなのかと振り返るくらいに。

手を差し伸べる立場になるために何から手をつければいいのかさっぱり分からないが、こうやって物を書いていると自分なりに考えが整理されていく感触がある。但し、どれもこれも私の思い出話ばっかりで、残念なことに私のティーンなんて10年以上前のことだ。今の中高生がどんなことを考えているのかまず知らなくてはいけないし、今には今の「生きづらさ」がきっと横たわっているのだろう。でも、素晴らしい小説がいつ読んでも刺さるように、心それ自体は同じ器が何世代にわたってもずっと受け継がれている、ということを「みかづき」を読んで再認識した。私にもできることはきっと残されている。

 

「やって!TRY」と「きまぐれクック」

昨日、こんな記事がツイッターで少し話題になっていた。

toyokeizai.net

短時間で読める記事なので読んでもらうのが一番だが、内容をさらうとこんな感じ。↓

 

TBS系「噂の!東京マガジン」という番組に「平成の常識・やって!TRY」というコーナーがある。平成生まれと見られる若い女性を屋外の簡易キッチンに呼び出し、レシピなしで指定のメニューをその場で料理してもらう企画だ。メニューは、「クラムチャウダー」や「カツレツ」「エビチリ」などといった、一度は食べたことがあるが、いざ作れと言われると戸惑ってしまうような絶妙なチョイス。何人かの女性にチャレンジしてもらい、なかでも「面白かった」料理の過程がオンエアとなる。

しかし、この手の企画となると「面白い」とは当然、常識では考えにくいようなめちゃくちゃな料理をする、という意味だ。そしてそこには馴れ馴れしい男性のナレーションが入り、グロテスクな料理をしている女性に厳しいダメ出しをする。そして、コーナー終了後には出演者がその女性なのか料理なのかを一通り笑い(嗤い)、プロのシェフが出てきて正しい作り方を実演。出演者はその美味しい料理を実食し、舌鼓を打つ。

そして今回、このコーナーの構成が女性蔑視にあたるのではないかという物議が醸されているところから記事は始まり、著者は制作者に質問をし、制作者側からは「料理は楽しいものということを伝えたい」と回答を得る。悪意がないことはわかるが、平成も終わろうとしているこのご時世に、女性が違和感を感じるかような番組は見直されるべきではないのか。そう著者は投げかけている。(と、私は理解した。間違っていたら平謝り。)

 

なんだか要約?が長くなってしまった。ここからが私の感想。

まず、これを読んでいて私は徐々に居心地の悪い思いがした。なぜなら、私はこの番組をわりと頻繁に観ていて、このコーナーでクスクス笑っていたからだ。

もちろん、なかには明らかに食べ物を粗末に扱う女性もいて、好ましくない場面もある。見た目があまりにもグロテスクすぎて気分が悪くなったときもあった。(私の一番のトラウマは、「エビチリ」の回で料理を赤く仕上げるために食紅を大量に投下されて仕上がった臓物のようなエビチリ。)ただ基本的には面白く、「女性」をバカにしているといったニュアンスはあまり感じたことがなかった。「若さ」は少しバカにしているかもしれないが…。

記事でも取り上げてられているが、「鯖の味噌煮」回で27歳独身女性が元彼を思い出して涙ぐみながら料理している姿はかなり見応えがあった。「うえ〜寂しいよ〜」なんて言いながらサクサクと美味しそうな鯖の味噌煮が出来ていく様は、そこらへんのチープなドラマよりよっぽど文学を感じる映像だったと思う。私はこういうのがもっと観たい。

注文をつけるとすれば、ちゃんと料理を成功させた人も見せて欲しいといったところだろうか。同じ平成生まれとして、とても参考になりそうなので。

話が逸れかけたが、正直に言うとこれを「女性蔑視」「(笑っている)出演者のジジイどももやってみろ」なんて言うのは、ちょっぴりだけど不寛容さを感じざるを得なかった。だって「運動神経悪い芸人」とかあるじゃん、なんてね。同時に、私の気運に対する意識が相当遅れているないしは歪んでいるのではないかという焦りも、もちろん充分に感じている。

もし、真っ向から男性に「お前女なのに料理出来ないの!?」とか言われたらカチンと来るし、そんなのは相手にもしない。ただ、このコーナーはそこまでの強さはない。言いたいのは、こんなおじさん番組を槍玉に挙げるよりも、女性を貶めているメディアはいくらでも溢れているんじゃないかってこと。いやでも、千里の道も一歩からということで、まずは「やって!TRY」から淘汰されるべきなのだろうか。なんだか気難しい話である。

 

そして昨日は「行列のできる法律相談所」にYouTuberのきまぐれクックが出たということでこれまたツイッターで話題になっていた。きまぐれクックさんの動画は私も好きでよく観ているので見逃したのがちょっぴり惜しい。この人はいわゆる「料理系ユーチューバー」であり、毎度難解と見られる魚介類を見事に淡々と捌いてゆき、最後はそれをとっても美味しそうな料理に仕上げる。作業をしながら自分のことをベラベラと喋らないスタイルや、たまに出る三河弁も懐かしい感じがして好きだ。

そういえば「やって!TRY」で「私、魚捌く動画とかよく観てるんで!」って言っている女の子がいた。おそらくきまぐれクックだと思う。

動画のつくりなんかははっきり言って地味なのだが、エロや裏モノ、大規模な検証といった派手な企画を乱発するよりもよっぽど見応えがある。ここだけの話、バカみたいにデカいキングサーモンを捌いてお腹からいくらを取り出す動画は何回も観た。

そして彼は常に食材への敬意も忘れない振る舞いであり、観ていて安心する。「やって!TRY」は残念ながらそこを欠いているように思うが、意外とそこに対する批判はあまり見受けられない。「愛のエプロン」で散々それは叩いていたし、2019年の本質はそこじゃないのだろう。

いずれにしても、料理というのは生活に密着しながらも、一つ外へ飛び出せばこれだけ色々な人を巻き込む一つのエンタテイメントであることはよく分かるーそれがたとえ「噴飯もの」だったとしてもだ。

 

蛇足ながら、きまぐれクックさんがここまで人気なのは、彼が見た目普通の男性であるということが非常に大きく作用しているのではないかと個人的に思う。かわいい女性が怪魚をダイナミックに捌いていても、ちょっとした話題で済んでしまいそうである。

また、もし、社会の趨勢に合わせて「やって!TRY」がカップルで料理に挑戦する企画に変更となってしまったら相当つまらないものに成り下がるだろう。

つまり、「男だから」「女だから」面白いものは世の中いくらでもあるのであり、それは料理に限ったことでもない。そこの垣根を崩せば新しい風は吹くかもしれないが、まだまだ私にはピンと来ていないのが本音だ。