たほ日記

生活一般、読書、美容、恋愛など

クリスマス、そぞろに語り始める

さっきセブンイレブンに寄ったら、ホットスナックのコーナーにターキーレッグのようなもの(ていうかターキーレッグ)が陳列してあり、今日がクリスマスなのを改めて思い出した。昨日までの三連休を文字通り「遊び倒した」せいで、なんとなく終わった気になっていたが、今日が本チャンなのだ。

せっかくなので缶ビールと一緒にターキーレッグを購入し、家でひとり食べてみた。おそらく人生で、ここまで「独り身のクリスマス」に手応えを感じたことはないだろう。

 

今日、会社で源泉徴収票を貰った。そこには自分がこの一年間で稼いだ額が載っているが、私ってここまで稼げるようになったんだなと素直に思った。もちろんまだまだ足りないが、1年半前に転職しただけで年収が150万強上がったと思うと、逆に今までなんだったんだろう?という思いと同時に、自分がどんどん地に足のついた生活をできるようになってきたんだという安堵が生まれた。これからなんでもできるな、と希望も見えてくる。

 

誰かがツイッターに同じようなことを書いていてハッとさせられたが、私はいま、子どもの頃に憧れていた生活そのままをしている。(もちろんこれは、家族をはじめとしたたくさんの人の支えや助けがあってのうえ成り立っていることは言うまでもないとして。)

憧れてた東京の誰もが知ってる大学に入れて、苦手だった父親と離れて一人暮らしができて、毎日好きなもの食べて飲み歩いて、欲しいものを欲しいタイミングで買って、好きなときに好きな人と遊んで、たまに休日に昼まで寝たりして。

 

それでもずっと、「何か足りない」と思って生きてきた。今だってそうだ。

もっと美人になれれば良いし、もっと仕事が面白くなれば良いし、もっと素敵な出会いがあれば良いし…結局私は全部欲しくなってしまう性格なのだ。

我ながら、まるでトロフィーワイフを見せびらかすジジィのような性根を感じて嫌気が差すこともあるが、このハングリー精神がずっと私の推進力であったことには間違いない。

 

2年前のクリスマスに書いた日記がある。この日記は誰にも見せられない内容だが、我ながら「名文」でたまに読み返してしまうときがある。いつ読んでも心が抉られる。(自分のことだから当たり前なんだけどさ。)

冒頭はこうだー25日の朝(2年前は休日だったのだろう)に私はすっぴんで地下鉄に乗り、とぼとぼと帰宅した。前日までこのカバンにはプレゼントが入っていて重たかったのに、今は渡したので軽く、そして代わりに入れるものは何も貰えなかった。目の前にはジュエリーブランドの紙袋を引き下げた幸せそうな表情の女の子が、彼氏と手を繋いで歩いていて、私の失意は更に深まるー

要約するとこんな感じで、ここから話は更に二転三転し、最後はフラッシュのように激しくも刹那的な自己嫌悪で締めくくられる。2年前の私はこれを流れるような美文で綴っていた。私は気分がサッドコアに走れば走るほど文豪になりがちなのだが、できればこんな思い、もう二度としたくないよね的な。

事の詳細は省くが、ここでの私は、紛うことなき「愛されるべき女性」であったはずなのに、どこで踏み間違えたのか「そうでもなかった」ことを気づかされ、存分に傷つきまくっている。私のハングリー精神が「素敵な男性に大切にされる自分の獲得」にシフトしていた時期の話だ。

 

今も私の本質自体はさして変わっていないし、この理想は捨ててない。むしろ、今ならもっとうまくやれるんじゃないかとも思ってしまう。ただ、いまや全く違うのは、「ジュエリーブランドの紙袋を引き下げた幸せそうな表情の女の子」のような他人を見て悲哀が水増しされない、ということだ。(悲哀自体はもちろんある。)

この三連休振り返ってもおびただしい数のカップルが街に溢れていた。日曜に行った日比谷なんて本当にすごかった。お前らマジで今までどこに隠れてたんだ!?みたいな。みんな思い思いのプレゼントを持っていて幸せそうだった。いいなあ、とは思ったがその先に繋がる胸の痛みは今回は訪れなかった。

その日会った友人は、丸の内仲通りのイルミネーションを抜けて待ち合わせ場所までやってきたらしい。星のように光る、どこまでも続きそうな街路樹の装飾の間を一人で歩くのは夢のような気分だった、きっとあれが日本で一番綺麗なイルミネーションだと思う、と興奮気味で語る横顔を見て、純粋に「いいな」と思った。恋人から貰うジュエリーよりも夢に近く、美しく光るものが東京にはあるのだ。

 

そんなことを思い出しながら一人パソコンに向かい、缶ビールとターキーレッグを頂く時間は案外悪くないというか、一周回って清々しい。

明日は会社の忘年会。うちの部署はめちゃくちゃに飲むから朝までコースだろうし、それに備えて早く寝なきゃなーとか考えている自分が少し頼もしい。

 

大口を叩くけど本当は超寂しがりやで、自分が嫌いで嫌いでしょうがなかった子どもの自分が心の中に棲んでいるな、と時々感じることがある。その子が私のハングリー精神の原点だ。大人の私がショックを受けるようなことに出くわすと、彼女の泣き声がどこからともなく聞こえてくるような気がする。心霊的な意味ではなく。(笑)

私はその子に、「幸せになった私」という素敵なクリスマスプレゼントをいつかあげたいなと思う。そのためにまだまだ頑張りたい。

ようやく、2年前のクリスマスの日記を消去した。

映画レビューは書けない

映画レビューは書けない。その周辺の思い出話。

 

先週末は2日連続で映画を観に行ってとても楽しかった。

1日目は「パッドマン 5億人の女性を救った男」@新宿

2日目は「来る」@日比谷

 

Q.なぜ場所まで書いたか。

A.これはそれぞれ違う友人と観に行っているのだが、1日目の友人(以降N)とは日比谷近辺で遊ぶことが多く、2日目の友人(以降M)とは専ら新宿で飲むので、今回はそのテリトリーが逆になっていて私の脳が思い出すたび混乱してくるからだ。

 

①12/15 パッドマン 5億人の女性を救った男

初インド映画であったが、めちゃくちゃすんなり受け入れている自分に驚いた。

インドに造詣の深いNが誘ってくれたのだが、この映画が出て来る前から彼女はたびたび「貴いもの」としてこのインドで生理ナプキンを安価で開発したおじさんのことを話していたので謎に事前知識はバッチリだった。

映画を見ると、おじさんへの感動は更に増す。

生理を汚い布で処理する妻を見て心配をし、一念発起した男が偏見や周囲の無知といった障害を乗り越え生理ナプキンを作り上げるだけでも素晴らしいのに、そこから家庭で立場の弱かった女性たちへの雇用を生み出すまでがドラマチックに描かれている。最後にこの男が国連でスピーチをするシーンは目頭が熱くなった。

日本で暮らしていると、生理に対する衛生的な処理法やその仕組みについて一定の教育は受けるので、インドの実情はフィクションにさえ感じてしまう。ただ、いわゆる「不意打ち」への戸惑いや他人に気づかれたときの気恥ずかしさというのはどこの国の女性でも共通であることが分かる。こういうときに、寄り添えて行動できる男性は確かに「貴い」。究極のお節介を諦めずに続けるのはものすごいエネルギーのいることだと思うからだ。お節介だからいいやと目を背けていては、何も始まらない。

 

映画のあとのお茶での話題は、主に私の新規事業構想についてだった。別に事業ってほど大それたものではないのだが、最近本当にやってみたいことがある。その内容をNは興味深く聞いてくれた。ちなみに、よく考えたらこの構想も「私は当事者ではないけど、お節介ながら」という気持ちが端緒だ。そういった意味でもパッドマンは非常に示唆的だった。困っている人を助けるのには「気づき」が不可欠だと信じている。

 

②12/16 来る

なんかこっちは映画の内容を説明する気になれない。気になる人は観たほうが早い。終盤のメガトン級除霊シーンは、ちょっとオタクの素養がある人間なら誰でも気に入ると思う。

現代の和光市で巨大な心霊を大掛かりに退治する物語といったところなのか。

一番印象に残ったシーンは、序盤で妻夫木くん(役名忘れた、ひでき?)が自分の結婚式の二次会で誰も聞いていないのにGReeeeNの「キセキ」を一人で熱唱しているシーンだ。「あ〜、声でねえ〜〜ww」とか一人で言ってて本当に痺れた。スクリーンにダッシュして抱き締めに行きたかった。私はなんでこういう人を絶対に放っておかないんだろうな? 前世ですげえ痛いヤツに命助けられたとしか思えん。

映画が終わったあと、Mにこのシーンのことを真っ先に話したら、「私は共感性羞恥を感じた」って言っていた。私は何がびっくりしたってMの口からこの言葉がすんなり出てきたことだよ。その前までは「えーっとなんだっけ、あれあれ」っていつも言っていて、私がその「あれ」を推量・指摘して会話が成り立っていたのに、いきなり「共感性羞恥」って。え? 

 

その後の食事で、Mは私に誕生日プレゼントをくれた。なんとこれ。

 

永遠のオードリーファッション

永遠のオードリーファッション

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 もうとにかくオードリヘップバーンがめちゃくちゃ素敵な写真集。

全部見てなにが驚いたって、いや当たり前なのか?この人老いても超美人なのね・・・。

しかもこれをMは「たほに似てると思って」と言ってくれた。本当に似ているかどうかは別問題として、その素敵な彼氏みたいなプレゼントにときめいた。心はアルコールでは溶けないという証明と、私をこんなにも綺麗なものと似ていると思って見てくれている瞳に感動した。もちろん脳内のBGMはGReeeeNのキセキ

 

映画を人と観に行くことの何が楽しいって、この先その映画の名前を目にするたびに、その人の仕草や、その日の空気の匂いなどを立体的に思い出せるようになるからだ。そして、ブログのネタにも適している。

心の料理道場

料理について何か言うとすれば、作る頻度は格段に増えたが血肉化してない、ってところだろうか。

 

今年の夏ごろ、電気圧力鍋を買った。モノ雑誌を読んでいて急に欲しくなり、ほぼ衝動買いだった。

これは「2018年買ってよかったモノランキング」上位に入るくらい優れた代物だった。まず炊飯器の代わりになるから埃かぶることはないし、スイッチひとつ、あとは放置で柔らかくて温かいおかずが出来る。手羽元なんかを入れると本当にホロホロになって、満たされた気持ちになる。料理をすることが楽しくなってくる素晴らしい商品だ。

 

私は大学入学とともに上京し、一人暮らしを始めている。

学生時代は家で何を食べていたのかあんまり思い出せない。そのくらい、私は料理に関心がなかった。もっと言えば、料理をしている私なんて私らしくないとさえ思っていた。理由は簡単にいえば私は自分のことをお姫様だと思っていて、食事は誰かの手によって提供され続けると思っていたからだ。(そのくせ洗濯には異様にこだわってしまう。これは別の話)

幸か不幸か、家で台所に立たなくても普通に生きて行けるということは大学の4年間で(あくまで私の中だけでだが)立証され、そのまま社会人となった。しかし、社会人1年目で考え方が変わる機会が訪れた。

 

私の社会人1年目というのは、今思い出しても恥ずかしくなるほどに毎日遊び歩き、貯金なんて1円もしていなかった。週に2日は合コンだったし、週末は女友達と朝まで飲むのが基本だった。相席屋みたいなのにもちょこちょこ行っていた。そのくせ仕事は激務で毎日長時間労働をしていた・・。「当時の私には1日36時間あった」としないと辻褄が合わないような生活だったといえる。

その矢先、私は非常にタチの悪い男性に引っかかり、短期間で心身共にボコボコにされて円形脱毛症になった。その男性との顛末については書く気になれないので割愛するが、彼のことは家父長制とブラック企業のコンボが作り出した「現代の悪魔」だったと今でも真剣に振り返ることがある。

脱毛に気づいたあの時のショックは今でも忘れられない。頭皮がピリピリと痛み、何だろうと思って前髪をめくったらそこにはミステリーサークルが! 泣いた。

なんかもう色んなことが崩れ落ちた瞬間だった。自分のことお姫様なんて以ての外で、無論「選ぶ立場」でもなければ「選ばれない存在」ですらあるということを誰からともなく烙印を押されたような思いがして、私のプライドは大いに傷ついた。

 

私はその場で泣きながら一人の友人に電話をした。

とにかく「○○くんにこんなことされた」「ハゲた」「○○くんはこんなこと言いやがった」「ハゲた」を無限ループで泣き喚いた。(その友人、このブログ見てると思うけどあのときはマジでごめんね)

そんな私のミサンドリーと自己嫌悪に満ち満ちた大音量のオリジナル般若心教を「うんうん」と聞いてくれた友達は、その後家へ招いてくれ、私はもう一直線で向かった。

彼女の家で見た光景は今でもしっかり覚えている。食卓に美味しそうな手作りのご飯がたくさん並んでいたのだ。

メインディッシュの自然薯のお鍋に加え、具沢山で甘辛い(私の大好きな味付け)煮物、水菜とトマトの彩りが綺麗なサラダ。「髪の毛がすぐ生えるようなメニューにしたよ♪」と言われたときには・・・今これを書いてて涙が出るくらいだ。こんなにも手料理が人の心が伝わってくるものだとは思いもよらなかったのだ。

 

例えば私の母親なんかも、子供である私や弟にたくさん手料理を食べさせてくれたと記憶している。ただ、「その人の料理を食べて育った」というのと、「ある時他人の気持ちのこもった手料理を食べた」というのは、少し事情が変わるのではないかと個人的には思う。母親の料理がいつも私の周りをくるくる回っている電子だとすれば、その友人の手料理は脳天を貫くほどの電気ショックだった。

辛いことがあっても日常は続けていかなければならず、食事抜きに働くことはできず、そしておしゃべりをしながら温かいものを食べる時間というものは、凝り固まった日常をほぐす作用があること。私もこういうアプローチで人のことを守れるようになりたいと真剣に思えた時間だった。お料理、心の一年生にやっとなれた、というべきか。それからちょこちょこ自宅の台所に立つようになった。

 

あれから4年。料理の基本的な事柄(食材ごとの切り方や下拵えなど)は大雑把ながら分かるようになってきた。調味料も充実してきている。しかし、悲しいことに私は味が濃くて辛いものが大好きなので、味付けについては今もあんまり自信がない。一人で作って食べて「うお〜〜〜めっちゃ辛え〜〜」ってなることもしばしば。

ただ、誰かが食べてくれるという機会なら、途端にクソ真面目になる。その人の好き嫌いも入念に振り返るし、なんなら予行練習(事前に一回作って食べてみる)とかすることもあった。サーブする瞬間はありえないくらい緊張した。ごく自然に手料理を振る舞えるようになるには、まだまだ修行が足りないのは明らかだ。でも、「美味しかった」と言われると、自分の好きな自分に少し近づいた気がして嬉しくて、その度にまた作りたいなと思った。

 

今書いていて急に、高校生のとき同級生の男子がカラオケでレミオロメンの「ビールとプリン」を歌っていたことを思い出した。「僕は急いでコンビニまで駆けるから 君も急いでご飯を作ってくれよ」という歌詞があり、当時の私は「いやお前が急いで作れよ」と聴きながら思ったものだが、それは男女の役割分担が組み敷かれている前提のものではなく、そういう成り行きがごく自然に愛情の軌道に乗ってやってくるものなのだと、今となっては理解が落ち着いている。

 

そうこうしているうちに、さっき電気圧力鍋が「できたよ〜〜」とアラームを鳴らした。今日の晩御飯は私だけが食べるカレーだ。蓋を開けると、誰か大切な人に食べてもらいたそうな顔をしているが、私は「ごめんね」とつぶやいて一人分の皿によそう。お前を食べた私がいつか誰かの生きる糧となればいいんだからそう寂しがるなよ。今は悲しくても、作ることさえ辞めなければ、いつかきっと誰かの心に伝わるからさ。

そう励まして、一口。例によって辛かった。

 

 

「怒り」と疑い

彼女を見ると、私は毎度「うわあ、本物だ」と思ってしまう。

そんな友人と映画「怒り」を観に行ったときの話だ。

 

観たのはもう2年ほど前の話になる。

なのに、なぜ今更この話をしだすのかといえば、最近彼女が私と「怒り」を観た時の話をブログに書いていたからだ。(彼女は、アマゾンプライムで「怒り」を偶然見つけて思い出して書いたらしい)

タイトルからして明らかに私のことを書いているに決まっているブログ。読まないわけがない。読み進めて行くと、彼女の当日に対するあまりにも細かい記憶力に舌を巻いた。繰り返しになるが、2年も前のことなのだ。私にも、あの日の記憶がだんだんと蘇ってきた。

 

名古屋に出張に行っていた帰りの新幹線。私のメンタルは絶不調だった。なぜなら、当時付き合っていた彼氏と「ほぼ」音信不通になっていたからだ。連絡しても、まず返事がない。随分と遅く返事が返ってきたと思えば、的外れで、気の無い一言だけ。彼は頭の良い人だったので、決して空気が読めないというわけではなく、意識的に私を遠ざけてそういう言動をしているようだった。(本当は違ったのかもしれないが、今更真意を確認できることでもない。)何より、そう私が解釈したことに私は苦しんでいた。「切られる」ってこういうことなのかもしれない。でも、一応付き合ってるんだけどなあ、私の何が悪いんだろうなあ、と。

「怒り」はとにかく暗く重いテーマの映画であることは、SNSで知った。とにかくこうなったらメンタルを堕ちるところまで堕としてやろう。ただ、収集がつかなくなると困るので、いざというときに助けてくれる人と一緒に観よう。そうして私はツイッターで「今日これから怒り一緒に観てくれる人募集」と新幹線の中で呟いた。

 

そしたら、いの一番にリプライしてきたのが、フォロワーのなかで一番「元気」な彼女だった。この際はっきり言うが、当時は彼女とさして親密ではなかったというか、1、2回飲んだことがあるだけだった。リプライがきた瞬間は固まったが、「怒り」を観るなら隣に応援団長がいたほうがいいぞ、という神の思し召しなのだと解釈して喜んで受け入れた。

 

私が指定した映画館は、私の自宅から徒歩圏内のところだった。しかも21時過ぎのレイトショーである。彼女にとっては、いきなり来いというにはハードモードな立地だったと思う。実際彼女に場所と時間を指定したところ、「ちょっと遅れるかもしれない」という返事がきた。彼女も仕事の後に来てくれるのだ、当然のことだと思った。 

上映ギリギリにくる彼女のために、チケットを2枚と彼女のためのウーロン茶を買って握りしめて待っていた。最悪、来ないかもしれないということまで視野に入れていた。「切られる」という事象がとても身近にあったからだ。もう失うもんねえだろ、くらいにも思っていた。

 

そして、上映時間ぴったりに彼女は来た。ドンキホーテ・ドフラミンゴみたいな格好をしていた。

「ごめん、お待たせ!タクシーめっちゃ急かして来たよ!」

そのときの私の感激は言うまでもない。

こういう人は思わせぶりで浮気が天才的に上手いんだろうな、と思った。率直に彼女にその場でそう伝えたら彼女ははにかんだ。お願いだから否定してくれ

 

肝心の映画の内容については特に細かく書くつもりはない。ご多聞にもれず暗く、重く、そして苦しい映画だった。彼女のブログにも書いてあることだが、妻夫木くんと綾野くんのハッテン場のシーンで、私が思わず彼女に「ハッテン場って本当にこんなんなの?」と聞いたことは確かに覚えている。失礼ながら、彼女の性別のことは完全に忘れていた。うまく言えないが、その時は世界に女は私一人だけと思ってしまっていたのだ。当然「知らんがな」的な返答だった。

あと、映画の性質的な面に触れておくと、ストーリー自体はいわゆる群像劇であり、私の好みではあった。もっと長く重厚な原作小説(読んだことはないが)を2時間程度に圧縮したものなので、結末の大味さや、坂本龍一の音楽に頼りきっているという批判は理解できるが、群像劇はその分登場人物が多く「自分に近しい」人間を見つけることができるから面白い。私にとっては、より深く映画に没入できる。(ちなみに一番感情移入したのは宮崎あおいの役だった。人を疑ったり、信じたりするゆらぎの振り幅が、一番似ていると思えたからだ。)

広瀬すずの役が、アメリカ兵に暴行されるシーンはトラウマになっている。指先が一気に冷えて、こめかみが波打つ感覚はありありと思い出される。隣の彼女にしがみつきたくなったが、なけなしの良識で控えた。今だったら普通にしていると思うが。

 

映画が終わる頃には、隣の彼女はめっちゃ泣いてた。一方で私は目が潤みもせず、ちょっと焦った。

 

ヒールの高い靴を履いていることもありそこらへんの男よりも高い身長、デカい器、そのわりに妙に頼りない声。メンタルマンションが倒壊していた私にとって、これ以上の安定した存在はないなと思った。こんな人に浮気されたら、一生立ち直れないだろうな、とも。

 

ちなみに、上映後彼女に「彼氏に切られたかも」と相談したら「そんなことはありえない。彼氏でしょ?とりあえず家行ってみれば?」と言われ、度肝を抜かれた。そんなことしたら普通ストーカーだと思われることない?なんというか、この人は恋愛の勝者なのだと思った。自分が「重いって思われるかも、メンヘラだってからかわれるかも」とぐるぐる迷って何もしないうちは、完全に自分は敗者なのだと気付かされた瞬間だった。多分このインパクトは、「怒り」自体を上回っていた。

 

ちょっとした後日談。レイトショーが終わった時間はそれなりに遅く、お互いそそくさと帰り、私は彼女に映画のチケット代を貰いそこねた。お互いそれに気づいたのは翌日になってからのことで、「今度返してくれたらいいよ」なんて言っていたら、後日飲みに会ったときに「この前の映画代」と3000円渡された。彼女は映画の値段を知らないのだろうか。そして、私はその後そのまま彼氏に「切られた」わけではなかった。人を疑い続けるのも疲れることなのだと学んだ。

彼女が浮気のプロだと思ってしまったのも結局は私の世界の中だけでの話だ。だから、どうか気を悪くしないでほしい。

でもさ、いくらなんでも2年前のことに対するあの記憶力、業者レベルじゃないか。さすがに疑うよ。

断ることや逃げることに関する雑記

東京メトロ丸の内線に乗っていたら、車内ビジョンで若者の薬物乱用防止を啓発する動画が流れており、ぼんやりと見ていた。

薬物を勧められたときに上手く逃げるコツは二つあるらしい。一つは、「はっきりと断ること」もう一つは「その場を立ち去ること」だ。なるほど、と思った。むしろそれ以外の方法が思いつかないくらいだ。

以前観た「IPPONグランプリ」の大喜利で「口臭の酷い彼氏に気づかせる方法は?」というお題で、有吉弘行氏が「言う」って回答して爆笑したことを思い出した。これも聞いた途端それ以外の方法が思いつかなくなる例だ。嫌なことや危険な場面を回避する方法は、案外シンプルなのかもしれない。

 

②医療脱毛のVIOが痛いという話は、これまで何人の女がブログで語ってきたことだろう。それでも私は言いたい。本当に痛かった。今までのどんな痛みよりも痛かったんじゃないかと思う。私は痛みに強いタイプだとずっと自負していたし、これも少しは本当なのだろう。ただ、そんな私でも麻酔を要求した。麻酔しても普通に痛かったから、コスパの面で今後麻酔はしないと決めた。どちらにせよ苦行の時であることには変わらない。

これで泣いちゃう女の子が絶対に居る気がして、施術する看護師に「泣いちゃう人いますよねこれ!?」と熱く問いかけたら笑って誤魔化された。患者のプライベートについては言及できないマニュアルでもあるのだろうか。下半身を露出しながら問いかける女を放置しないで欲しかった。

VIOの医療脱毛は本当に痛く辛い。逃げ出したくなった。「はっきり断ること」も「その場を立ち去ること」もできた場面だったと振り返る。でも当然それはできなかった。私はこれに代金を支払っているし、綺麗になりたいという欲望が勝ったからだ。

 

③ある平日の夜遅い時間に、治安が悪いことで有名な某駅へ向かっていた。ダンボールを敷いて寝転ぶホームレスたちを横目に地下へ降りていくと、だんだんと男の低く唸るような声が聞こえてきた。歩みを進めると、改札付近で男が女の両肩を掴み、必死で訴える様子が視界に入ってきた。

「俺があなたを女にしてやるよ」

そう彼は繰り返していた。女は女で「私に今までそんな経験は一切なくて」と迷惑そうに繰り返していた。二人とも容姿は醜く、私の親くらいの年齢だった。私はその会話が耳に入って来ることから逃げるために小走りで改札を抜け、その場を去ったが、一瞬しか見ていなかったはずのあの光景が脳裏に焼き付いている。

女はあの男に女にされるのが嫌だったら、「はっきり断る」か「その場を立ち去る」かすれば良かったのだ。人の多い駅構内、暴力の心配もないだろう。それでも逃げない誘惑が彼女にとってもあったのだろう。

 

④付き合っている相手の元カノ話を容認できるか問題。私は容認できない。より厳密に言うと、昔は全く容認できたが徐々にできなくなってきた。私自身に余裕ができなくなったのか?という焦りがあるが、最近は容認できないほうが普通なのでは?というように思うようになってきた。相手がそういう話をしたそうな素ぶりを見せてきたら、はっきり断ってやればいい。それでも無理に話してきたらその場を立ち去ってやればいい。頭ではそう考えているが、いざとなると硬直してどちらもできないことがある。妙な好奇心が走って、「何か小説のような良い小噺が聞けるかもしれない」と期待してしまうことがあるからだ。我ながら非常に矛盾していると思う。

 

こうざっと書いてみると、果たして最後は断ることや逃げることというのはそう簡単ではないように思えてくる。実践法は数えるほどしかないのだが、そこに至るまでの感情の道筋が無限にある。世の中そこまでシンプルであれば、①最初から薬物に手を出す若者だっていないし、②ムダ毛は放置すればいいし、③女になれない女はとっくに自然界で淘汰されているはずだ。そうじゃないから人は④のような他人の目からはどうでも良いような問題に頭を悩ませる。こういうことを考えているときの酒が美味いのもまた不思議だ。

ホットヨガと異邦人

今月末で通っていたホットヨガスタジオを退会することにした。1年ちょっと通っていた。

理由は色々あるが、一番は毎度汗だくになってシャワーに駆け込むため、いちいちその後のケアの化粧品を持って行くのが面倒になったこと。そして、これは大して気にしていないことだったが、いつもとても混んでいた。ホットヨガは本当に人気なのだ。

人気であると同時に混む要素は色々とある。そもそもの会員数が多いしかり、平日の夜などは特に人が集中しやすいしかり。とりわけ人気の先生のクラスは芋洗い場状態だ。

最初に入会したときに、スタッフの方から「先生の合う合わないというのもあるので、ぜひ最初は色んなクラスに参加して、自分にあった先生を見つけてください」と案内された。それは本当のことで、実際に先生の合う合わないというのはかなり感じた。

合うはまあわかるとして、合わないということがどういうことなのか少し紹介しておくと、ヨガの先生にはたまに物凄く色っぽい人がいる。みんな基本的にはウェアはぴったりとしたものを着用しているのだが、色っぽい先生はいやに胸が強調されるような格好だ。(こういう先生は、えてして顔は特に美人ではないのが不思議)それだけならいいものの、声までおっとりしているので、ボリュームが小さく尻すぼみな言葉が何を言っているのか分かりにくい。そのくせ独り言が多い。セレクトするBGMのセンスが趣味丸出しで受け容れ難い。要するに、こちらが全然集中できないのだ。素晴らしいボディにはもちろん憧れの念は抱くが、なんというか、何に金を払っているのかよくわからなくなってくる。キャバクラヨガかよ。

 

まあこんな先生もごく一部なので、あとは大抵が普通に合う先生だったといえる。なかでも私が気に入っていた先生は、「私はヨガの先生」という職業意識をしっかり持っている人で、言葉も聞き取りやすいうえに非常にわかりやすく、個人的な質問なんかにも丁寧に対応してくれる。たまにあんまり面白くはないジョークを飛ばし雰囲気を良くしようとも努めている。私はその先生のクラスには積極的に参加していた。

ところが、ある日その先生が当日急に休んでしまったことがあった。緊急代行という形で、そのクラスは他の先生が担当したが、あの手の先生が当日「欠勤」するということは珍しいなと不思議に思っていた。

翌日、またその先生のクラスに赴くと、今回は普通にいた。体調不良ではなかったようだ。しかし、クラスが始まり、先生の開口一番に私はのけぞることとなった。

 

「えー、昨日はクラスを休んでしまってごめんなさい。昨日、母が死んじゃったんです。このあとは、特に休むつもりはないのでご安心ください。いやー、みなさん親孝行はしたほうがいいですよ(笑)じゃあ、始めます。」

 

この最後の(笑)は私の潤色でもなんでもなく、本当に笑っていたのだ。もちろん生徒一同は凍り付いていた。ホットヨガどころじゃねえだろ、あとこのあとは休むつもりはないってどういうこと!?たった一日休んだだけで全て片付いたの!?大丈夫なの?!って全員思っていたと思う。先生は淡々と仕事をしていたが、生徒は混乱していた。

そして私は「鳩のポーズ」をしながら、カミュの「異邦人」のことを思い出していた。「きのう、ママンが死んだ。」のフレーズとともに。先生に「ムルソーかよ!」ってその場でツッコミを入れたかった。 

異邦人 (新潮文庫)

異邦人 (新潮文庫)

 

 「異邦人」はこれまでの人生で二度読んだ。一度目は中学生のときで、二度目はわりと最近だ。当然のことかもしれないが、二度目のほうが主人公ムルソーという男にぐっと寄り添えるような思いがした。

 

先日彼氏と飲んでいて、偶然この「異邦人」の話題になった。そのとき彼は「ムルソーってさ、サイコパスなのかな?」と言い出した。ムルソーにはマリーという彼女がいて、マリーが私のこと愛してる?的なことを聞くと、ムルソーは「わからない」とにべもなく答える場面がある。彼氏はここを突いてサイコパスなのかな?と持ちかけたのだ。

その時の私の意見はNOだった。寂しいことだが、彼女を「愛している」と本人を目の前に胸を張って言える男性のほうが少数派のように考えたからだ。ふと、私は彼に「私のこと愛してる?」とその場で尋ねてみたくなったが、「なんで今俺にそれを聞くんだよ(笑)」と流されてしまうことを想像してやめた。つまり、そういうことなのだ。

 

もし、ムルソーサイコパスと言うのであれば、冒頭の「きのう、ママンが死んだ。」を突くべきではないかと思った。もちろん、この「母が死んだにも関わらず涙すら流さなかった冷淡な男」というレッテルが物語を進めていくので、これは私が指摘するまでもないことなのだが、あえて言うならここしかない。そして、もしこれで本当にサイコパス認定をすれば、あのヨガの先生もサイコパスといえてしまうのだろうか?(しかし、ムルソーはそのうえ人殺しもしているから話の土台は全く違うのだが、断片を拾った場合、として)

今更ではあるが、そもそも私はサイコパスという言葉が好きじゃない。なんというか、世の中が「サイコパス!」とギャグのように連呼することによって、本当に傷ついている人がどこかにいるような気がするからだ。だから、当然ヨガの先生のこともサイコパスなんて言いたくない。ただ、なんとなく「異邦人」のことを思い出しただけだ。

 

・・・まあ普通はここで話は終わるわけだが、続きがある。実は、先日私は本当に偶然この先生のSNSを発見してしまった。おそらく仕事用のアカウントではあるのだが、かなりプライベートも露出していて、思わず興味深く見てしまった。

そこで驚愕の事実を知った。この先生、私と年齢がほとんど変わらないのである。

 

失礼な話になってしまうが、私はずっと、この先生は自分より10歳は上だと普通に思っていた。むしろ、本当はもっと年はいっているけど、ヨガのお陰で若く見えるようなイメージだった。ところが、それは真逆。SNSで初めて見た、先生のあまりにも「幼い」印象の私服姿に胸がざわついた。なんだか、実はとても苦労している人なのかもしれない。

私くらいの年齢で母が死ぬ、となるとそれは大抵の場合老衰ではないしショッキングな出来事だ。いつか必ず来るその日を覚悟できるほど、肝の座った大人でもない。しかしそれをある意味スッと受け容れて、翌日から普通に仕事ができてしまうあの先生。サイコパスという呼ぶこともできるかもしれないが、私は純粋な敬意に似たものを感じた。

他人から見るその人は、本当にその人の一欠片でしかない。我々は平気な顔をして、その一欠片でその人を判断してしまう。ホットヨガ中、私の右隣で「子供のポーズ」をとっていたあの女性も、床に頭を預けながら悲しんでいることがあるのかもしれない。そういうことを優しく分かってあげられる人間になるにはどうしたら良いのだろう。少なくとも、ホットヨガを続けているだけではなれない。だから私は、ホットヨガをやめる。

 

 

 

 

入院したら読みたい本

高校生のとき、慢性的な腹痛に悩まされて検査入院をしたことがある。

検査入院といっても日帰りで何の事は無い内容だったが、私が初めていわゆる「病床」を実感した瞬間で思い出に残っている。

検査をする時間自体は数分で、残りはほとんどベッドでの待ち時間と聞かされていた私はとりあえず文庫本一冊だけ持って行った。

きっと気が滅入る時間だろうから…と思い、少しでも気分が明るく(?)なるように、星新一ショートショート集のひとつを選んだのだが、これが個人的に失敗であったと今になっても思うことがある。テンポが病床と全く合わない!

そのくらい、「病床」というのは読書に没入できる時間だったのだ。

 

大好きな作家のひとりである倉橋由美子が『偏愛文学館』のなかでトーマス・マンの『魔の山』を「稀に病気になって時間ができた時にベッドの中で読むことにしていた」と紹介していて、それに妙に憧れたことがある。私も病気の際ベッドの中で読むことにする本を選びたいと思った。

そんなのどんな本だっていいじゃないか、と思われるかもしれないが、病床の本は一味違う。確保できる時間の密度が違うからだ。

だからこそ、通勤電車の中で読むとウトウトしてしまうくらいの本がちょうどいい。

あと、人と「これ面白かったよね!」と話すには今更感があるような本だとなお良い。完全に読書を個人的なものに落とし込むためだ。

そこでまず候補に挙がるのが、カフカの『城』だ。それこそ高校生のときに一度読んだ読破したが、正直感動は薄かった。カフカに触れるにはまだ多感なJK過ぎたんだと思う。

その後、大学に入ってからDVDでミヒャエル・ハネケの『カフカの「城」』を観た。

 

カフカの「城」 [DVD]

カフカの「城」 [DVD]

 

 これがものすごく良かった。ちなみにこれを観たとき、私は風邪でかなり体調が悪かった。普通体調悪いときに映像なんかろくに観れないのに、これは観れた。つまり私の病から来る没入のリズムにマッチしているといえるんだろう。

 

そして、この前もう一冊見つけたから挙げる。カヴァンの『氷』だ。

 

氷 (ちくま文庫)

氷 (ちくま文庫)

 

 傾向としてはカフカに似てる、と言ったら一部の人に怒られるだろうか。

めっちゃくちゃざっくりとしたあらすじをいえば、ヨーロッパを思わせる国で諜報員のような仕事をしている「私」が目の前から去ってしまった「少女」を捜しつづけるという話で、これだけだとつまらなさそうなんだが、いや、実際つまらないのか・・・?

私はかなり没入してしまった。それこそ通勤電車のなかや健康な隙間時間で読んでいたのだが、まるで病気のときに読んでいるような気分だった。裏を返せば、読んでいると病気になりそうな小説だった。

 

「私」が「少女」を獲得するための過程は暴力炸裂、なんなら「少女」は何度も殺される(実際には死んでないのだが、イメージの世界で殺され続けるのだ。ここらへんがちょっとSFっぽい。)し、人のあたたかみなぞ一欠片もない。そもそも、「氷」は世界を覆い尽くそうとしていて、人類の終末はもうすぐそこ。なのに最後の最後で「愛」とか言い出して本当に「はぁ〜〜〜!?」と投げ出したくなる瞬間もある。

時系列もよくわからないし、現実なのか想像なのかその線引きもしてくれない。でも、ページをめくる手は止まらなかった。なんだろう、全く知らない言語の歌詞の曲を聴いてるんだけど、それがすごくしっくりくる曲だから意味はわからないのに何度もリピートしてしまうような。

 

ここまで書いてふと気づいたのは「お前それ通勤電車で読めてるなら、入院したら、とか関係なくない?」ということ。

本を読むペースやリズムってその時々で全然違うけど、今『氷』をここまでガツガツ読めたのは、今の私が入院中のメンタルに近いってことなのかな。でも、本当に入院したら『氷』をもう一度読みたい。それ以外の局面では、きっと読み返すことはないと思う。