たほ日記

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読書ノート:あいちトリエンナーレ「展示中止」事件 表現の不自由と日本

 

 

 2019年8月、私は一人であいちトリエンナーレを見に行った。大雨に見舞われた非常に天気の悪い日だった。驚くほど人が少ないし、ボイコットにより多くの作品が展示が取り下げられ、正直ほとんど見ごたえがなく、心も特に動かされない期待外れな芸術祭だった。印象に残っているのは、会場の端でスタッフと話し込む金髪の津田大介氏の姿と、名古屋市美術館の常設展くらいだ。

この見ごたえがない芸術祭を作り出したのが、「表現の不自由展」事件であるわけだが、結局これがどういう事件だったのか私には未だに全貌がよくわからず、テレビもネットもどうも極端な表現が目立ち、情報として信用しづらいと感じたので、今更ながらこの本を選んだ。大村知事のリコール騒動があったり、河村たかし氏が名古屋市長選で再選されたりもきっかけのひとつだ。

表現の不自由展の実行委員会の会員による、事件の始まりから現在までを細かく描いた手記を中心に、日本の右傾化、そして「検閲」がいかに深刻化しているかを伝えている。

私はこの事件に関して、マスコミの作る河村市長VS大村知事という構図や、やけに大村知事がネットで「ごく常識的な観点で、表現の自由を守った」みたいに評価されていることに違和感を感じていたが、読み進めるうちにそんな小さな規模の話ではなく、愛知はただの舞台に過ぎず、大村知事もいわゆる中間管理職の仕事を頑張っていたんだという感じで、自分の直感(違和感)は案外正しかったのかもしれない、と思えた。

肝心の展示作品についての解説が一番勉強になった。報道では少女像(慰安婦像)が展示されている、昭和天皇の写真が燃やされている、など日本人にわかりやすい断片的な言葉で作品が形容されてきた。

私も恥ずかしながら少女像の関しては、反日プロパガンダ的な意味合いを常々感じていた口だが、これは慰安婦だけの問題ではなく、慰安婦問題を端緒に女性に対する性暴力全体に対する抗議を込めた作品であることを理解した。造形についても少女の彫刻ではあるが、影はハルモニ(おばあさん)になっており、加害者の謝罪を受けられないまま耐えてきた歳月や恨(ハン)のこもった時間を表現しているということを初めて知り、印象はずいぶんと変わったし、実物をぜひとも見てみたいとさえ思った。

昭和天皇の写真についても、まあ皇族じゃなくても自分の大好きなおじいちゃんおばあちゃんの写真が燃やされている映像を「アートです」なんて言われても嫌だよなあ、程度に考えていたが、この写真はそもそも「自画像」作品の一部として使用したもので、それこそ検閲によって図録が燃やされてしまった様子を撮影しているもの…と知り閉口。「なら立派なアートだね」と言い切るわけでもないが、この情報だけでも作品の奥行を感じ、再考しようという気持ちにさせられる。やはり内容をよく知らないまま脊髄反射的に物事を批判したりするのは、のちに恥をかくことに繋がる。

私自身、受験科目で日本史を選択していたものの、日本の戦争の歴史についての感覚はかなり鈍い自覚がある。

前職で、クソジジイ客が在日韓国人のスタッフを怒鳴り、「これだから韓国人は」的な発言をし、スタッフ全員真っ青になったことがあった。これを横で聞いていたドイツ人のスタッフが「ドイツ人がユダヤ人嫌い、って発言するくらい角が立つことだ」と後に言っていたが、私はそれを聞いたときに「そうかそのレベルだよな」と急に自覚的になった瞬間があった。ナチスユダヤ人にしたことは学んであれだけ印象に残り、本当にむごいことだと思っていたが、これと日本と韓国の関係性が相似であることはイメージできてなかったということだ。自らが学んできた日本史の教科書のバイアスというものを感じざるを得なかったし、現在一部の政治家や識者の歴史修正主義的(慰安婦はいないし、虐殺もなかったみたいな)発言がいかに慎重に扱われるべきなのかを再認識させられた。被害者が現にいる世界で、こんなこと、ワイドショーで軽々しく発言できるようなことじゃないよね。

私は日々世の中のいろいろな問題が右翼VS左翼ないしはネトウヨVSパヨク的な展開になっているのを見てはうんざりし、そのどちらにもつきたくないというかつけないと考えているし、この本を読んでいても、正直所々うざったいなと感じてしまった部分があった。(愛知という土地自体が保守的な人間が多いみたいな話や『Will』を読むおじさんをくさすコラムとか。いらない。)

しかし、もういい年なんだし、意見を求められたら答えられるようになるくらいの人間にはなりたい。特に表現の自由については、別に私はアーティストでもなんでもないが、表現の自由が守られない世の中になると、自分が今まで楽しんできたメディアすべてが消えてしまうのだから、本当にこれは私の問題だ。

あいちトリエンナーレ行ったときのつまらなさ。実はあれはあれで貴重で、忘れてはいけないのかもしれない。

こういう本は読み続けながらも、鵜呑みにせずに自分の中の参考資料として保管できるくらいの訓練はしておきたい。でもさすがにちょっと疲れたので、次は大好きな作家の小説を読みます。