たほ日記

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森絵都「みかづき」を読んで

目に見えて塞ぎ込んでいる人間だけが、助けを求めているわけではないー。

そんなことを不意に思いつき、本物の涙が一粒ぽろりと零れた。

営業の合間、喫茶店でひとり時間を潰しながら「みかづき」の読了を迎えた瞬間のことである。

ネタバレとか気にせず書いていくので、読む予定のある人は注意してください。

 

みかづき (集英社文庫)

みかづき (集英社文庫)

 

 まだ塾というものが世の中に浸透していない時代、学習塾の立ち上げからスタートし、徹底的に「教育」に向き合った親子三代の物語である。作者は森絵都。私は彼女に子どもの頃から本当にお世話になった。小学校高学年のとき「永遠の出口」や「つきのふね」を読み、「世の中にはいろんな人がいるけど、彼らと私にも共通する思いはしっかりとあるんだ」と社会への視野がぐっと広がった感覚は今でも覚えている。間違いなく私に小説を読むことの面白さを気づかせてくれた一人だ。

そんな作家が塾や教育についての物語を書いたらしい。これは絶対読むしかないと息巻いていたのだが、実際に読んだのは文庫版が出てからと随分遅れた。長い小説ではあったが、面白い故あっという間に読み終わった。

私が特に感動したのは、最終章の一郎(塾創業夫婦の孫)のパートである。親や祖父母の生き様を目の当たりにして、教育からは遠ざかっていた彼が、貧しさや家庭の事情から勉強が遅れてしまっている子どもと出会うことによって、「何かできないか」と徐々に動き出していく物語である。平成を背景としているのでより情景が掴みやすく、読み進めていくうちにまるで自分の物語ではないかと錯覚してしまうほどだった。

というのも、私もそういう子どもに対して何かできることはないだろうかと常々考えていたからだ。

 

私は中学、高校、大学2回の計4回入試を体験している。普通の公立学校コースを歩んでいれば高校・大学1回の計2回で済むということを考えると、私のこれはちょっと多い。こうなったのには色々理由があるが、一言で言えば、自分に合った環境を求め続けた結果といったところだろうか。私は子どもの頃から気難しいヤツだったので、常に通っている学校が好きじゃなかったのだ。

なのでその分、私は塾というものには相当馴染みがある。塾は学校と違って、「勉強」だけが目的なので、余分なコミュニケーションも必要なく、授業中の私語でイライラすることもなく、ベストではないが私には学校よりもずっとマシな場所だった。(たまに塾のレクリエーション企画があったが、私は一切参加しなかった)

最も気難しさを拗らせて死にかけていたのは高校受験のときである。私は当時、塾さえも2校辞めている。1校目は学生バイトが私のことをある日を境に下の名前で呼んできたことに憤慨して辞めた。親がよくこんな理由で辞めることを許可してくれたと思う。

2校目なんかは入塾初日で辞めている。その塾は地元で名の通っている実績ナンバーワンの進学塾で、クラスがA・Bとレベル別で分かれていた。入塾初日は下のBクラスからスタートするのだが、私はこの日いきなりクラス内の小テストで満点を取り、先生は私を名指しで褒め、この授業が終わったらすぐにでもAクラスに移動しろと言ってきた。鼻高々なエピソードではあるのだが、当時は所詮中学生だらけのクラス、周りからは白い目で見られた。

授業が終わり教室から出ると、先ほどのクラスで一緒だった女子3人くらいの集団が、私をジロジロと見ながら噂話をしていた。そして、その内の一人が私の姿を舐めるように見て「かーわいー」とニヤニヤしながらつぶやいた。その時の私の服装は、無論、全身Emily Temple cuteである。「かーわいー」は授業で目立ち、ロリータ寸前の変わった服装の私を彼女が嗤って発言したことは言うまでもない。樽のように太り、顔中がニキビに覆われている醜い女子だった。私はこのとき生まれて初めて明確な「殺意」というものを認識したと思う。絶対に殺してやる。ブスでバカのくせに。まずは学力でこいつが絶対に追いつけないところまで到達し、社会に出た暁にはこいつをこき使う立場に就いて、絶対に私に口答えできない世界まで追い込んでやる。確かにこう思った。そして帰宅するや否や、私はこの旨を母にぶつけた。話しながら思わず泣いてしまったのは今でも覚えている。

それから私は一生懸命勉強したのだが、色々な不運が重なり、結果第一志望の高校には入れなかった。それが判明したとき私はリビングでうずくまって泣き、母は「私の目にはあんたは充分頑張ってたように見えるけどね。でも、高校ってのははっきり言って通過点でしかないから、そんな思い詰めなくてもいいんじゃないの」と言った。励ましと慰めのつもりだったと思うが、「高校は通過点」というのはあまりに母らしくない発言で、誰かの言葉の引用だとすぐに気づいた。こうなることも想定して母がこの言葉を用意していたと思うと、ますます情けない気持ちになったものである。結局私は第二志望の高校に入学した。

 

ここで少し話が変わるが、私の地元では高校の「環境推薦」という制度があった。(今もあるのかどうかはよく分からない。)これがなかなか食えない代物で、「自己推薦」や「スポーツ推薦」に並んで家庭環境がよろしくない(生活保護を受けていることなどを指すのだと思う)生徒を「推薦」するのである。一定の学力も求められてはいるが、普通に受験をするよりも入りやすいことは確かで、みんな口には出さないが、この推薦で入ってきた生徒は反感の的となってしまうのは言うまでもない。

少し前に、南青山に児童相談所を建設することで揉めていることがニュースになっていたが、話題になったとき私は真っ先にこの「環境推薦」のことを思い出した。恵まれない環境に置かれている人が決して悪いわけではない、ただ、自分たちが努力をして手に入れた土地に「恵まれなさ」を理由としてやすやすと立ち入られては腑に落ちない。建設反対している人たちの本音はこんなところだと思う。

辛酸を舐めて高校に入学した私も、環境推薦に対してこれと同様の思いを抱えていた。環境推薦で入学した子は、大抵自分がそうであることを明かさないし、周りもいちいち探らないのだが、一人だけ自分が「環境推薦で入れてとてもラッキー」と豪語している女の子がいた。明らかに雰囲気が周りの生徒と違ったことはよく覚えている。こういうことを「当然」といってしまうのも無情であるが、彼女は「当然」周りから少し避けられていたし、知らない間に高校も辞めてしまっていた。

彼女が高校を辞めたということを知ってから数日経ったときのこと。私は友達と遊んでいた帰り、夜の繁華街で彼女を偶然見かけた。詳しいことは書かないこととするが、10代女子の生活からは逸脱している様子であり、私は強い衝撃を受けた。家庭に問題を抱えているのかもしれないが、少し前まで同じ制服を着ていて、同じような10代の生活を過ごしていると思いきや大間違い。彼女が高校を辞める選択をした理由を想像すると、目の前が暗くなった。単なる怠惰かもしれないし、私が塾を辞めたときのように人間関係がバカバカしく思える瞬間が訪れたのかもしれないし、正解は分からない。ただ、今はっきりといえるのは、もし不本意で高校を辞めることになってしまったとしたら、これほど「可哀想」なことはないと思うのだ。

「可哀想」と思うことは、傲慢なのだろうか。私はいつもこの壁にぶち当たる。社会人になってから、教育に関わることに少し興味が湧き始めた。それも少し問題を抱えてしまった子どもに対しての。しかし、私はいじめや不登校、家庭の決裂といった体験はない。ドライなティーンを過ごしてきた。そんな人間が、「可哀想」を出発点としてしまってはいけないんじゃないの!?でも私だって間違いなく学校に対する生きづらさは常に感じてきたんだ!勉強したいだけなら、塾にだけ行っていればいい!でももし、塾のお金なんてさらさら払えない環境にいたら?…考えの収拾がつかなくなる。

 

みかづき」の一郎も同じような壁にぶつかっていた。だから私は目が離せなくなったのだ。それでも物語の中で苦戦しながら、塾のお金が払えない子の勉強の面倒をみる勉強会を作り上げた彼は立派である。私は特に具体的な行動を起こしているわけではないが、似たようなことにチャレンジしてみたいから勇気付けられる。でも、所詮は物語だし、とここでもまた急に思考がぐるぐると旋回し始める。

ただ、作中、自ら勉強会に入りたいと志願する女の子からの電話を受けた後、一郎が「やっと、俺たち、届いたよ。」という場面で私は確かに涙が零れたのだ。本を読んで泣いたのは何年振りなのかと振り返るくらいに。

手を差し伸べる立場になるために何から手をつければいいのかさっぱり分からないが、こうやって物を書いていると自分なりに考えが整理されていく感触がある。但し、どれもこれも私の思い出話ばっかりで、残念なことに私のティーンなんて10年以上前のことだ。今の中高生がどんなことを考えているのかまず知らなくてはいけないし、今には今の「生きづらさ」がきっと横たわっているのだろう。でも、素晴らしい小説がいつ読んでも刺さるように、心それ自体は同じ器が何世代にわたってもずっと受け継がれている、ということを「みかづき」を読んで再認識した。私にもできることはきっと残されている。