たほ日記

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読書ノート:〈妊婦〉アート論 孕む身体を奪取する

 

〈妊婦〉アート論

〈妊婦〉アート論

 

 結婚するに差し当たり、周りの人から「ちょっと気が早いけど」という枕詞とともに、子どもについてどう考えているのか、と質問される機会が増えた。なかには、子どもを作ることを前提に「絶対に無痛分娩がおすすめ!」などと自らの体験談を語る本当に気の早い人もいる。子どもは好きだし、自分の子どもというものに興味はあるので、他人に何を聞かれても特段嫌な気持ちにもならない。

しかし、先日母親から「子どもは35歳までに絶対に産みなさい」と言われてめちゃくちゃに腹が立った。強制されるようなことじゃないと思うし、というか、正直母親がこういうことを常日頃考えていることを知って失望した、という感覚に近い。

でも、本来子どもを作ることを念頭に置いて生きているなら、こんな立腹することもなく「はいはい」で流せたはずなので、自分のどこかに手放しで出産を望めない要素があるのだと気づかされた。考えた末、私は出産・子育てのことよりも妊娠することについてどこか抵抗感があるのではないか、という一つの仮定にたどり着いた。他人のマタニティフォトを目にしたときの「あの気持ち」、電車内で見かける「おなかに赤ちゃんがいます」のキーホルダー、産婦人科の待合室で母子手帳を握りしめる女性たち。

 

この本には、簡単に言えば「見せ物としての妊娠・妊婦」を様々なアプローチで観察分析している。(マタニティフォト、日本文学、妊娠したリカちゃん人形、産婆育成用の胎盤人形など)違ったらごめんなさい。

私が特にハマったのは第3章の〈「妊娠」を奪取するー女性作家による「妊娠」表象を読む〉で、倉橋由美子の「パルタイ」や小川洋子の「妊娠カレンダー」、内田春菊など、私の思春期の読書体験に欠かせない面々が紹介されており、他人事ではなかった。ただ、上記3つがすべて「悪女の妊娠」の項目に挙げられており、少々きまりが悪いが…。

男性に支配された妊娠に陥るわけではない、胎児に対する加虐志向も一切ない、ただその妊娠という状態から感じさせられる異物感や、妊婦の摂食や精神状態のゆらぎとか、そういったものを小説のなかで変に体験してしまったものだから、30歳間近になっても、妊娠がひとえに幸せの象徴として受け入れられないし、その状態に自分がなることが怖い。

雑談レベルで、この不安を夫(となる人、まだ入籍していない)に話してみたら「それ(精神状態がゆらぐことなど)は人によるだろうし、仕方のないこと。そういうときは二人で一緒に頑張ろう」そして、「子どもがいたらきっと楽しいと思うよ」。

そりゃそうだよね、わかる、わかるよ。ただ私が不安に思っている精神のゆらぎは、単に悪阻でぐったりしたり、細かいことでイライラしたり悲観的になって泣き出すことだけではなく、インスタグラムにエコー写真をアップしたり、自分のマタニティフォトの暑中見舞いとかを出すことも含まれる。

その行為自体を決して批判しているわけではない。今の自分がまるでやらなさそうなことをやりたくなることが私にとって問題なのだ。ずいぶん気の早い話だけど。