たほ日記

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映画ノート:落下の解剖学(ネタバレしません)

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結婚したことによる自分の変化、みたいなことは日頃あまり考えないようにしているが、『落下の解剖学』に深くのめり込み、解像度高く(自分比)鑑賞できたことは短いながら「結婚生活」というものを過ごしてきたからだと思う。

 

これは事故か、自殺か、殺人か―。というキャッチコピーを読むとまるでミステリーの一種のようにも感じるが、別に死因はさして重要ではない。夫の転落死をきっかけにして明らかになる夫婦の様相を描いた映画だと思う。

私は夫とこれを観に行ったのだが、夫にまず感想を聞いたら「面白かったし、観て良かったとも思うけど、好きな映画じゃない。」とのことだった。

 


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ギャガ公式からまさか動画がアップされているとは思わなかったが、この夫婦喧嘩のシーンが本当に強烈に印象に残っている。映画館で観るとこの妻の迫力はYouTubeの5000倍くらいすごい。すごいのだが、いかにも映画の演出・演技という感じは無い。この爆発するような怒り、身に覚えがある気がした。私だけだろうか。

夫はこのシーンについて、「まるで自分が怒られているみたいで本当に嫌だった」と言っていたのも追い風だった。(ここで、「女のヒステリーってやっぱ怖い(笑)」みたいな感想だったら幻滅するところだった)

私は夫と喧嘩したときに、まさしくこのレベルの巨大な怒りをぶちまけることがある。なので、夫が「まるで自分が…」と言ったのは「まるで」というか実際というかなんというか。

夫婦喧嘩のきっかけは本当に些細なことでも、それが日頃の小さなすれ違いを想起させ、なんとなく我慢していたことが一気に噴き出す。過ぎたことをほじくり返すのは喧嘩マナー違反なのかもしれないが、滝のように言葉が流れ落ちて全身を駆け巡り、回収できなくなってくる。夫の心底悲しそうな顔を見ると、自分はモラハラで、映画でいうところの「モンスター」なんじゃないかとものすごく落ち込むときもある。でも、信じてほしいのは、私は結婚生活を終わらせるためではなく、継続させるために怒っているということだ。

私の夫を知っている人がこれを読んだら、「あの男に対して何を怒ることがあるんだ!?」と思うに違いない。私だってそう思う。あんな善良な市民の代表格のような人。でも、これは結婚生活において致命傷ではないと考えているからこそ言えることだが、そういう人と私は本来相性が悪いのだと思う。優しい人とは悪口で盛り上がれないし、他人への接し方の足並みも揃わない。当然、相手にとっても同じで、私とは色々とやりづらいことも多いだろう。それでも結婚することを双方同意して決めたのだ。

怖いことに、結婚生活というのは原則この先一生を共に過ごしていく。『落下の解剖学』の夫婦のように子どもがいれば、より簡単に離れられる関係ではいられなくなる。この先ずっと、本気で向き合わなくてはいけない人間が出来るというのは正直かなりしんどくて、自分の両親はよくやっている、と結婚して初めて感じることもできた。

私は器用で、人付き合いのバランスのいい人間だと思っていたが、結婚生活のプレッシャーはその自信をじわじわと削ってくる。ここ2年近くの生活で、私は器用なのではなく、単に自分の本当の気持ちが伝えるのが苦手なのだということが判明したし、今まで怒りというのは大人同士のコミュニケーションには不要と思っていたが、本心を温度・手触りそのまま、出来立てほやほやで伝えるためには必要な場合があることも知った。自己嫌悪と引き換えに…。

そんなことを日々考えていたタイミングで観たこの映画、このシーンである。夫の目には自分がこのくらい怖く映っている瞬間があるのかと思うと気が滅入ったが、妻が「気が強い女」で終わっていい話では決してないはずだ。

『落下の解剖学』では死んだ夫の物語はほとんど描かれないが、私にはこの夫の一見優しくて良い父親でありながらも、ずるくて情けない姿、拗らせ煮詰まったプライドが手に取るように分かった。じゃなきゃ妻はあんなに怒らない。夫婦は合わせ鏡という言葉が、いよいよ真実味を帯びてくる映画体験だった。