もはや断食しか
私の父はいわゆる大食漢で、「いつでも」「なんでも」「どれだけでも」食べれられる人だ。おそらく還暦を迎えようとしているであろう今でも、その食いっぷりは衰えることを知らない。
外食をしていて、家族が食べきれなかった分を全てさらえてしまう。昼ごはんを食べながら、晩ごはんの献立について尋ねる。ギャグみたいなマジの話。私はこれまで出会った男性のなかで、父ほど食べれる人は未だに見たことがない。
一部のネットでは、かような男性のことを「食い尽くし系」と呼んで、わりと嫌われていることが多いらしい。それもなんとなくわかる。食いっぷりの良さは、なかなか上品さとは結びつきにくい。
なぜこういう話を書こうとしたかというと、この頃自分がこの父親の特性を受け継いでいるのではないかと気づき始めたからだ。
去年の夏ごろから激辛料理にハマり始め、そのときから「もしかして」と思うようにはなってきた。好みの味のものだと、際限なく食べられるような気分になってくる。
家の近所にかなり美味しいタイ料理屋さんがあることを知って、そこに一人で行くときは毎回なかなかの金額を弾き出してしまう。営業廻りでスタミナ不足を感じたときには、大盛りのカレーを飲み物のように平らげてしまう。朝ごはんにウーバーイーツでケバブをいきなり頼んでしまう。
そして先日は、夕飯とお弁当用にと作ったニラ玉春雨(3人前)を一回の夕飯のみで食べきってしまった。
さすがにやばいだろうよ。
昨日ジムのキックボクシングのクラスでミット打ちをやっていたら、インストラクターのお兄ちゃんに「最近、ものすごいインパクトですよ」と(多分)褒められた。インパクトって、この鬼のような形相のことか?と内心かなり焦ったが、少し調べたところ、どうやら打撃の威力が増している的な意味合いらしい。ついに夢のパワー系の仲間入りか
もちろん技術レベルが上がるに伴って、打撃力が増してくることが第一なのだろうが、それと同等に私自身の体重がかなり増えているのではないかという疑念がある。最近は、余計な不安を抱えたくなくて体重計に乗るのをやめている。
おかげさまで風邪なんかはひかない、健康な体であると思う。ただ、毎度毎度良い食事をとっているわけでもない。ジムは通ってわりとしっかり運動している。でもその分むちゃくちゃ腹が減って食べてしまう。しかも量は増える傾向にある。
なんとなく、体内に澱が溜まっている感覚。更に悪いことに、この頃肌の調子も非常に悪い。どうにかならないものだろうか。
そこで思い出したのが「断食」である。
職場の美人な先輩が年末の休暇に断食道場に篭り、7日で5キロ痩せたという話を聞いた。体も非常にすっきりするらしい。美人が言うのだから信憑性があるし、日々の努力的なのが難しいこの生活では、こういう短期集中でマインドが変わる体験というのもアリかもしれないと思ったのだ。
今年のGWは嬉しいことに10連休だ。あんまり大した予定もないので、いっそ私も断食道場に行ってみようかと考えている。空腹の限界を超えた自分と体の変化がとても興味深い。
早速断食道場を調べてみると、色々と出てくる。しかし、どれもなかなか高額なのに驚く。「飯も出ないのになんだよこの値段は!」と、この時点で飯に取り憑かれている自分が悲しくなってくる。
というか飯も出ない、のであれば自分でやってみれば良いんじゃないか?と思い至る。ただ、いきなり頑張っても健康面での不安がある。なんか良い実用書とかないのかなと探していると、「月曜断食」というワードを発見した。
「月曜断食」とはその名の通り、月曜だけ断食して、その他の日々も一定の規則に従って食事を摂るとみるみる痩せるダイエットという代物のようだ。レビューなんかも見ていると本当に痩せるらしい。内容を詳しくみたところ、真似できなくもなさそうだ。奇しくも、これを閲覧していた日が日曜日で「明日断食できるじゃん!」と手を叩いて喜んだ。
結果、月曜から断食に失敗した。昼にサイゼリヤで泣きながらサラダを喰った。
「食べない」と決心することが、ここまで現実感のないものだとは思わなかった。
たまに、その日ひとつの物事に没頭して、気がついたら何も食べてなかった!という事態はあるが、「食べない」と決めてしまうと逆に腹の様子ばかりを伺ってしまう。父親から受け継いだ遺伝子が「そんな物事簡単にいくと思うなよ」と私の脳内で光り輝く担々麺の像を結ぶ。
断食道場の価格設定にケチをつけた自分を少し恥じた。100年早かったと思う。
今は毎度の量を少しずつ減らしながら普通に食事はしている。荒れている肌は、基礎化粧品を一新したらあっという間に回復した。結局は、やれることを確実にしていく以外にサラリーマンが美を得るチャンスはなかなか無い。「断食」という夢は、働いてジムに通う平日とは乖離している。やっぱり、やるなら道場行くしか無いッショ。
そのうちたほ日記〜断食道場編〜が始まるかもしれません。初日の夜、絶対に子供のときおじいちゃんと食べたロイヤルホストのチョコレートサンデーを思い出して泣くんだろうなあ俺。
3月はとにかく飲み会やらなんやらが多くて、どっと疲れが溜まる月だった。先ほど言った体内の澱の原因も、実はこれに集約されているだろう。自分の身の上とか恋愛話とかする(というかさせられる)度に、なかなか理解されず、聞いてる側の小さな幸せの尺度で分かったような物言いをされて、ストレスが蓄積することが多かった。一生、美容と脱毛と酒の失敗の話だけしていたい。でもそれだけでは飽きるから断食という新たな突破口を。私が断食チャレンジして不幸になる人は一人もいないのだから。