たほ日記

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「怒り」と疑い

彼女を見ると、私は毎度「うわあ、本物だ」と思ってしまう。

そんな友人と映画「怒り」を観に行ったときの話だ。

 

観たのはもう2年ほど前の話になる。

なのに、なぜ今更この話をしだすのかといえば、最近彼女が私と「怒り」を観た時の話をブログに書いていたからだ。(彼女は、アマゾンプライムで「怒り」を偶然見つけて思い出して書いたらしい)

タイトルからして明らかに私のことを書いているに決まっているブログ。読まないわけがない。読み進めて行くと、彼女の当日に対するあまりにも細かい記憶力に舌を巻いた。繰り返しになるが、2年も前のことなのだ。私にも、あの日の記憶がだんだんと蘇ってきた。

 

名古屋に出張に行っていた帰りの新幹線。私のメンタルは絶不調だった。なぜなら、当時付き合っていた彼氏と「ほぼ」音信不通になっていたからだ。連絡しても、まず返事がない。随分と遅く返事が返ってきたと思えば、的外れで、気の無い一言だけ。彼は頭の良い人だったので、決して空気が読めないというわけではなく、意識的に私を遠ざけてそういう言動をしているようだった。(本当は違ったのかもしれないが、今更真意を確認できることでもない。)何より、そう私が解釈したことに私は苦しんでいた。「切られる」ってこういうことなのかもしれない。でも、一応付き合ってるんだけどなあ、私の何が悪いんだろうなあ、と。

「怒り」はとにかく暗く重いテーマの映画であることは、SNSで知った。とにかくこうなったらメンタルを堕ちるところまで堕としてやろう。ただ、収集がつかなくなると困るので、いざというときに助けてくれる人と一緒に観よう。そうして私はツイッターで「今日これから怒り一緒に観てくれる人募集」と新幹線の中で呟いた。

 

そしたら、いの一番にリプライしてきたのが、フォロワーのなかで一番「元気」な彼女だった。この際はっきり言うが、当時は彼女とさして親密ではなかったというか、1、2回飲んだことがあるだけだった。リプライがきた瞬間は固まったが、「怒り」を観るなら隣に応援団長がいたほうがいいぞ、という神の思し召しなのだと解釈して喜んで受け入れた。

 

私が指定した映画館は、私の自宅から徒歩圏内のところだった。しかも21時過ぎのレイトショーである。彼女にとっては、いきなり来いというにはハードモードな立地だったと思う。実際彼女に場所と時間を指定したところ、「ちょっと遅れるかもしれない」という返事がきた。彼女も仕事の後に来てくれるのだ、当然のことだと思った。 

上映ギリギリにくる彼女のために、チケットを2枚と彼女のためのウーロン茶を買って握りしめて待っていた。最悪、来ないかもしれないということまで視野に入れていた。「切られる」という事象がとても身近にあったからだ。もう失うもんねえだろ、くらいにも思っていた。

 

そして、上映時間ぴったりに彼女は来た。ドンキホーテ・ドフラミンゴみたいな格好をしていた。

「ごめん、お待たせ!タクシーめっちゃ急かして来たよ!」

そのときの私の感激は言うまでもない。

こういう人は思わせぶりで浮気が天才的に上手いんだろうな、と思った。率直に彼女にその場でそう伝えたら彼女ははにかんだ。お願いだから否定してくれ

 

肝心の映画の内容については特に細かく書くつもりはない。ご多聞にもれず暗く、重く、そして苦しい映画だった。彼女のブログにも書いてあることだが、妻夫木くんと綾野くんのハッテン場のシーンで、私が思わず彼女に「ハッテン場って本当にこんなんなの?」と聞いたことは確かに覚えている。失礼ながら、彼女の性別のことは完全に忘れていた。うまく言えないが、その時は世界に女は私一人だけと思ってしまっていたのだ。当然「知らんがな」的な返答だった。

あと、映画の性質的な面に触れておくと、ストーリー自体はいわゆる群像劇であり、私の好みではあった。もっと長く重厚な原作小説(読んだことはないが)を2時間程度に圧縮したものなので、結末の大味さや、坂本龍一の音楽に頼りきっているという批判は理解できるが、群像劇はその分登場人物が多く「自分に近しい」人間を見つけることができるから面白い。私にとっては、より深く映画に没入できる。(ちなみに一番感情移入したのは宮崎あおいの役だった。人を疑ったり、信じたりするゆらぎの振り幅が、一番似ていると思えたからだ。)

広瀬すずの役が、アメリカ兵に暴行されるシーンはトラウマになっている。指先が一気に冷えて、こめかみが波打つ感覚はありありと思い出される。隣の彼女にしがみつきたくなったが、なけなしの良識で控えた。今だったら普通にしていると思うが。

 

映画が終わる頃には、隣の彼女はめっちゃ泣いてた。一方で私は目が潤みもせず、ちょっと焦った。

 

ヒールの高い靴を履いていることもありそこらへんの男よりも高い身長、デカい器、そのわりに妙に頼りない声。メンタルマンションが倒壊していた私にとって、これ以上の安定した存在はないなと思った。こんな人に浮気されたら、一生立ち直れないだろうな、とも。

 

ちなみに、上映後彼女に「彼氏に切られたかも」と相談したら「そんなことはありえない。彼氏でしょ?とりあえず家行ってみれば?」と言われ、度肝を抜かれた。そんなことしたら普通ストーカーだと思われることない?なんというか、この人は恋愛の勝者なのだと思った。自分が「重いって思われるかも、メンヘラだってからかわれるかも」とぐるぐる迷って何もしないうちは、完全に自分は敗者なのだと気付かされた瞬間だった。多分このインパクトは、「怒り」自体を上回っていた。

 

ちょっとした後日談。レイトショーが終わった時間はそれなりに遅く、お互いそそくさと帰り、私は彼女に映画のチケット代を貰いそこねた。お互いそれに気づいたのは翌日になってからのことで、「今度返してくれたらいいよ」なんて言っていたら、後日飲みに会ったときに「この前の映画代」と3000円渡された。彼女は映画の値段を知らないのだろうか。そして、私はその後そのまま彼氏に「切られた」わけではなかった。人を疑い続けるのも疲れることなのだと学んだ。

彼女が浮気のプロだと思ってしまったのも結局は私の世界の中だけでの話だ。だから、どうか気を悪くしないでほしい。

でもさ、いくらなんでも2年前のことに対するあの記憶力、業者レベルじゃないか。さすがに疑うよ。