たほ日記

生活一般、読書、美容、恋愛など

クリスマス、そぞろに語り始める

さっきセブンイレブンに寄ったら、ホットスナックのコーナーにターキーレッグのようなもの(ていうかターキーレッグ)が陳列してあり、今日がクリスマスなのを改めて思い出した。昨日までの三連休を文字通り「遊び倒した」せいで、なんとなく終わった気になっていたが、今日が本チャンなのだ。

せっかくなので缶ビールと一緒にターキーレッグを購入し、家でひとり食べてみた。おそらく人生で、ここまで「独り身のクリスマス」に手応えを感じたことはないだろう。

 

今日、会社で源泉徴収票を貰った。そこには自分がこの一年間で稼いだ額が載っているが、私ってここまで稼げるようになったんだなと素直に思った。もちろんまだまだ足りないが、1年半前に転職しただけで年収が150万強上がったと思うと、逆に今までなんだったんだろう?という思いと同時に、自分がどんどん地に足のついた生活をできるようになってきたんだという安堵が生まれた。これからなんでもできるな、と希望も見えてくる。

 

誰かがツイッターに同じようなことを書いていてハッとさせられたが、私はいま、子どもの頃に憧れていた生活そのままをしている。(もちろんこれは、家族をはじめとしたたくさんの人の支えや助けがあってのうえ成り立っていることは言うまでもないとして。)

憧れてた東京の誰もが知ってる大学に入れて、苦手だった父親と離れて一人暮らしができて、毎日好きなもの食べて飲み歩いて、欲しいものを欲しいタイミングで買って、好きなときに好きな人と遊んで、たまに休日に昼まで寝たりして。

 

それでもずっと、「何か足りない」と思って生きてきた。今だってそうだ。

もっと美人になれれば良いし、もっと仕事が面白くなれば良いし、もっと素敵な出会いがあれば良いし…結局私は全部欲しくなってしまう性格なのだ。

我ながら、まるでトロフィーワイフを見せびらかすジジィのような性根を感じて嫌気が差すこともあるが、このハングリー精神がずっと私の推進力であったことには間違いない。

 

2年前のクリスマスに書いた日記がある。この日記は誰にも見せられない内容だが、我ながら「名文」でたまに読み返してしまうときがある。いつ読んでも心が抉られる。(自分のことだから当たり前なんだけどさ。)

冒頭はこうだー25日の朝(2年前は休日だったのだろう)に私はすっぴんで地下鉄に乗り、とぼとぼと帰宅した。前日までこのカバンにはプレゼントが入っていて重たかったのに、今は渡したので軽く、そして代わりに入れるものは何も貰えなかった。目の前にはジュエリーブランドの紙袋を引き下げた幸せそうな表情の女の子が、彼氏と手を繋いで歩いていて、私の失意は更に深まるー

要約するとこんな感じで、ここから話は更に二転三転し、最後はフラッシュのように激しくも刹那的な自己嫌悪で締めくくられる。2年前の私はこれを流れるような美文で綴っていた。私は気分がサッドコアに走れば走るほど文豪になりがちなのだが、できればこんな思い、もう二度としたくないよね的な。

事の詳細は省くが、ここでの私は、紛うことなき「愛されるべき女性」であったはずなのに、どこで踏み間違えたのか「そうでもなかった」ことを気づかされ、存分に傷つきまくっている。私のハングリー精神が「素敵な男性に大切にされる自分の獲得」にシフトしていた時期の話だ。

 

今も私の本質自体はさして変わっていないし、この理想は捨ててない。むしろ、今ならもっとうまくやれるんじゃないかとも思ってしまう。ただ、いまや全く違うのは、「ジュエリーブランドの紙袋を引き下げた幸せそうな表情の女の子」のような他人を見て悲哀が水増しされない、ということだ。(悲哀自体はもちろんある。)

この三連休振り返ってもおびただしい数のカップルが街に溢れていた。日曜に行った日比谷なんて本当にすごかった。お前らマジで今までどこに隠れてたんだ!?みたいな。みんな思い思いのプレゼントを持っていて幸せそうだった。いいなあ、とは思ったがその先に繋がる胸の痛みは今回は訪れなかった。

その日会った友人は、丸の内仲通りのイルミネーションを抜けて待ち合わせ場所までやってきたらしい。星のように光る、どこまでも続きそうな街路樹の装飾の間を一人で歩くのは夢のような気分だった、きっとあれが日本で一番綺麗なイルミネーションだと思う、と興奮気味で語る横顔を見て、純粋に「いいな」と思った。恋人から貰うジュエリーよりも夢に近く、美しく光るものが東京にはあるのだ。

 

そんなことを思い出しながら一人パソコンに向かい、缶ビールとターキーレッグを頂く時間は案外悪くないというか、一周回って清々しい。

明日は会社の忘年会。うちの部署はめちゃくちゃに飲むから朝までコースだろうし、それに備えて早く寝なきゃなーとか考えている自分が少し頼もしい。

 

大口を叩くけど本当は超寂しがりやで、自分が嫌いで嫌いでしょうがなかった子どもの自分が心の中に棲んでいるな、と時々感じることがある。その子が私のハングリー精神の原点だ。大人の私がショックを受けるようなことに出くわすと、彼女の泣き声がどこからともなく聞こえてくるような気がする。心霊的な意味ではなく。(笑)

私はその子に、「幸せになった私」という素敵なクリスマスプレゼントをいつかあげたいなと思う。そのためにまだまだ頑張りたい。

ようやく、2年前のクリスマスの日記を消去した。