たほ日記

生活一般、読書、美容、恋愛など

読むだけ無駄なしょうもない話

ここ1週間ちょっと、トイレットペーパー無しの生活をしていた。(書かなくても分かってもらえると思うけど、ボックスティッシュを代用していた)

理由は簡単で、切らしてから新しく買うのをずっと忘れてしまっていたからだ。

夜遅めに帰宅して、手を洗って部屋着に着替えて「ふーっ」と座椅子に座った瞬間に「あ、トイレットペーパー買うの忘れた」となるのだ。それがバカみたいに毎日続いてしまった。もう一生、トイレットペーパーが買えないんじゃないかと思った。

一度部屋着に着替えてリラックスしてしまうと、もう一度着替えて買いに行くということも難しい。学生時代なら余裕でできていたし、なんなら部屋着のまま買いに行っていたと思う。でもそんなバイタリティは労働の日々に揉まれて置き去りにされてしまった。というか別にボックスティッシュで十分事足りているしな、と自分を許す。

 

遂に買えたのも、ほぼ偶然の産物と言って良いもので、その日も案の定頭からトイレットパーパーのことは消え去っていたのだが、スーパーで肉を選んでいる時にトイレットペーパーが目に入った。そのスーパーはなんだか不思議なレイアウトで、肉の冷蔵庫の上にトイレットペーパーが積んであったのだ。迷わず降ろして籠にぶち込んだ。

 

「やっと買えたわ・・・」と思いながら帰宅し、早速トイレに設置しようとしていたら、購入したものがシングルタイプであることに気づいた。私は、薄くて頼りないシングルタイプのトイレットペーパーが嫌いだ。これを12ロールも買ってしまった。

仕方なくシングルタイプをがらがらと使っていても、それまでボックスティッシュを使っていた分、その心許なさに愕然とする。存在を忘れ続けたうえに、気に入らないものを買ってしまう。シンプルに自分の出来の悪さを恨んだ。どうしてこの世にトイレットペーパーのシングルタイプなるものが存在し得るんだろうか。「そうそう、これこれ、やっぱりシングルじゃないとね〜」と言いながら喜んでこれを使う人間がいるのだろうか?

 

もはや断食しか

私の父はいわゆる大食漢で、「いつでも」「なんでも」「どれだけでも」食べれられる人だ。おそらく還暦を迎えようとしているであろう今でも、その食いっぷりは衰えることを知らない。

外食をしていて、家族が食べきれなかった分を全てさらえてしまう。昼ごはんを食べながら、晩ごはんの献立について尋ねる。ギャグみたいなマジの話。私はこれまで出会った男性のなかで、父ほど食べれる人は未だに見たことがない。

一部のネットでは、かような男性のことを「食い尽くし系」と呼んで、わりと嫌われていることが多いらしい。それもなんとなくわかる。食いっぷりの良さは、なかなか上品さとは結びつきにくい。

 

なぜこういう話を書こうとしたかというと、この頃自分がこの父親の特性を受け継いでいるのではないかと気づき始めたからだ。

去年の夏ごろから激辛料理にハマり始め、そのときから「もしかして」と思うようにはなってきた。好みの味のものだと、際限なく食べられるような気分になってくる。

家の近所にかなり美味しいタイ料理屋さんがあることを知って、そこに一人で行くときは毎回なかなかの金額を弾き出してしまう。営業廻りでスタミナ不足を感じたときには、大盛りのカレーを飲み物のように平らげてしまう。朝ごはんにウーバーイーツでケバブをいきなり頼んでしまう。

そして先日は、夕飯とお弁当用にと作ったニラ玉春雨(3人前)を一回の夕飯のみで食べきってしまった。

さすがにやばいだろうよ。

 

昨日ジムのキックボクシングのクラスでミット打ちをやっていたら、インストラクターのお兄ちゃんに「最近、ものすごいインパクトですよ」と(多分)褒められた。インパクトって、この鬼のような形相のことか?と内心かなり焦ったが、少し調べたところ、どうやら打撃の威力が増している的な意味合いらしい。ついに夢のパワー系の仲間入りか

もちろん技術レベルが上がるに伴って、打撃力が増してくることが第一なのだろうが、それと同等に私自身の体重がかなり増えているのではないかという疑念がある。最近は、余計な不安を抱えたくなくて体重計に乗るのをやめている。

おかげさまで風邪なんかはひかない、健康な体であると思う。ただ、毎度毎度良い食事をとっているわけでもない。ジムは通ってわりとしっかり運動している。でもその分むちゃくちゃ腹が減って食べてしまう。しかも量は増える傾向にある。

なんとなく、体内に澱が溜まっている感覚。更に悪いことに、この頃肌の調子も非常に悪い。どうにかならないものだろうか。

そこで思い出したのが「断食」である。

 

職場の美人な先輩が年末の休暇に断食道場に篭り、7日で5キロ痩せたという話を聞いた。体も非常にすっきりするらしい。美人が言うのだから信憑性があるし、日々の努力的なのが難しいこの生活では、こういう短期集中でマインドが変わる体験というのもアリかもしれないと思ったのだ。

今年のGWは嬉しいことに10連休だ。あんまり大した予定もないので、いっそ私も断食道場に行ってみようかと考えている。空腹の限界を超えた自分と体の変化がとても興味深い。

早速断食道場を調べてみると、色々と出てくる。しかし、どれもなかなか高額なのに驚く。「飯も出ないのになんだよこの値段は!」と、この時点で飯に取り憑かれている自分が悲しくなってくる。

 

というか飯も出ない、のであれば自分でやってみれば良いんじゃないか?と思い至る。ただ、いきなり頑張っても健康面での不安がある。なんか良い実用書とかないのかなと探していると、「月曜断食」というワードを発見した。

「月曜断食」とはその名の通り、月曜だけ断食して、その他の日々も一定の規則に従って食事を摂るとみるみる痩せるダイエットという代物のようだ。レビューなんかも見ていると本当に痩せるらしい。内容を詳しくみたところ、真似できなくもなさそうだ。奇しくも、これを閲覧していた日が日曜日で「明日断食できるじゃん!」と手を叩いて喜んだ。

 

結果、月曜から断食に失敗した。昼にサイゼリヤで泣きながらサラダを喰った。

 

「食べない」と決心することが、ここまで現実感のないものだとは思わなかった。

たまに、その日ひとつの物事に没頭して、気がついたら何も食べてなかった!という事態はあるが、「食べない」と決めてしまうと逆に腹の様子ばかりを伺ってしまう。父親から受け継いだ遺伝子が「そんな物事簡単にいくと思うなよ」と私の脳内で光り輝く担々麺の像を結ぶ。

断食道場の価格設定にケチをつけた自分を少し恥じた。100年早かったと思う。

 

今は毎度の量を少しずつ減らしながら普通に食事はしている。荒れている肌は、基礎化粧品を一新したらあっという間に回復した。結局は、やれることを確実にしていく以外にサラリーマンが美を得るチャンスはなかなか無い。「断食」という夢は、働いてジムに通う平日とは乖離している。やっぱり、やるなら道場行くしか無いッショ。

そのうちたほ日記〜断食道場編〜が始まるかもしれません。初日の夜、絶対に子供のときおじいちゃんと食べたロイヤルホストのチョコレートサンデーを思い出して泣くんだろうなあ俺。

 

3月はとにかく飲み会やらなんやらが多くて、どっと疲れが溜まる月だった。先ほど言った体内の澱の原因も、実はこれに集約されているだろう。自分の身の上とか恋愛話とかする(というかさせられる)度に、なかなか理解されず、聞いてる側の小さな幸せの尺度で分かったような物言いをされて、ストレスが蓄積することが多かった。一生、美容と脱毛と酒の失敗の話だけしていたい。でもそれだけでは飽きるから断食という新たな突破口を。私が断食チャレンジして不幸になる人は一人もいないのだから。

 

不審者の告白

つい最近の出来事。私が通っているジムに、不審者が現れた。

見た目40代と思わしき女性。彼女は「ジムを見学したい」としっかりアポ電をしたあと、ジムにやってきたそうだ。私はその時間、他の人と一緒にトレーニングに勤しんでおり、彼女の顔というのははっきりと見ていない。入室してきた後ろ姿だけははっきりと覚えている。まるで就活生のような、あるいは喪服のような、そんな頼りないスーツ姿の女性だった。

一緒にトレーニングをしていた女性、ほかインストラクターのお兄ちゃんに聞いても、彼女の存在にはまるで気づかなかったと言う。私にはそれが不思議でならなかった。

なぜなら、部屋中に彼女のまくし立てる声音が響いていたのを、私はしっかりと聞いていたからだ。自らの腹筋に向き合いながら、私はずっと女の悲痛とも言える声を聞いていた。何を言っているかまでは分からなかったが、ジムの見学ごときで何をそんなに語ることがあるんだと不思議に思っていた。まさか不審者であるとは思わずに。

 

帰り際、彼女を対応していたオーナー(おじさん)に話しかけられた。「いやー、初めて不審者に出くわしてしまいました。来てたの、気づきました?」

私はもちろん気づいていたと首を縦に振り、詳細を尋ねた。オーナーの話によると、彼女はジムを見回し、開口一番「この女性たちは全員騙されている!」「あなた(オーナー)や、あの人(インストラクター)も、人を騙している!!その証拠にほら、みんな変なことを話しているわ!」と喚いたそうだ。そして一通りおかしなことを騒いだ後、最後に「あなたたちも●●(男性のフルネーム)に指示されて、こんなことをしているのね」と吐き捨て帰って言ったらしい。

オーナーは終始「いや〜〜ぼくこんなこと初めてですよ。びっくりしちゃいました。次また来たらどうしようか。たほさんも気をつけてくださいね。」と参った様子だった。インストラクターのお兄ちゃんも話を聞きながら、「俺そんな変なこと言ってたかなー(笑)」と苦笑しているのみであった。

私はその間、彼女が言及していた「●●」が何者なのか気になっていた。

そして今日、昼食をとりながら急にこのことを思い出し、検索をしてみた。

●●は非常にごくありふれた苗字で、私はまず、数年前に少し話題になったとある右翼活動家のことを連想した。しかしフルネームで検索してみると、全く見当違いであった。

●●は、いわゆる結婚詐欺師であり、しかも大手(?)なのか、彼の被害者の会のホームページまでもできている有様であった。こんなあっさりスキャンダラスな平日の昼間を過ごせるとは思わなかった私は、本腰を入れて彼のことについて調べ始め、彼に騙された女性のブログを発見するまでに至った。

詳細は伏せるが、事のあらましは以下の通りである。

被害者のAさんは、独身で寂しい毎日を過ごしている中年女性である。ある日、あまりの孤独から出会いアプリ(私も一時期登録していたものだ)を始め、●●と出会ってしまう。●●はイケメンではない(顔写真も出ている)が高収入で、レディファーストで気がきく男性。なのにちょっとメンタルが弱いところもあってAさんは好意を抱いてしまう。複数台の高級車をローテーションで乗り回したり、彼が経営しているという飲食店が実在していないなど見ていて不可解な点はあったものの、Aさんは好意ゆえにあえて目を瞑り、遂に名義貸し(厳密には違うのかもしれないが私はそう解釈した)をしてしまい、多額の金を奪われてしまう。

そこでブログの更新は止まっており、非常に続きが気になる終わり方である。最初は「書いているうちにめんどくさくなっちゃったのかな」と思ったが、よくよく更新日時を見たら、この一連の詐欺行為がほんの数ヶ月前の出来事であることに気づいてぎょっとした。近いうちに続編がリリースされることだろう。私が新年会でげえげえ吐いている間に彼女は心のどこかでは詐欺師と思っている男に入れ込んでいたことになる。純粋に地球の広さに驚いた。

もちろん、Aさん=ジムに現れた不審な女性という証拠はなく、おそらく別々の人間だろう。どちらも、●●に騙されたone of themでしかない。冷たい言い方だけど。

ブログでは●●の言動が詳細に記述されているが、赤の他人である私からしてみれば「どう考えてもこれは詐欺師やん」と思われるものばかりだ。こんなんに騙されるなんて、アホじゃないのと思うくらいに。

でも、でも、もし私が当事者になったら?完全に回避できるとは言い切れないかも。

 

ジムに現れた彼女の話を、オーナーをはじめとした全員は、狂言として捉えた。カルト宗教に毒された悲しきモンスターの叫び程度として。恵まれない中年女性の狂気として。●●に騙された?はっ、気の毒な。

 

町田康の大傑作「告白」をふと思い出した。すこぶる思弁的で、でも思ったことが言葉として外に出ないことに苛立ち苦しみ続けた熊太郎。何度も心のありのままを放出しようとするけど、失敗し、周りにバカだアホだと侮られ続ける。そんな熊太郎が最後どのようになったかは、みんな小説を読めばいい。要は、私が考えたのは、決して彼女は「不審者」としてではなく、一種の啓蒙として女性が多い場所を廻っているのではないかというひとつの仮説だ。

かと言って、じゃあたほ、お前は彼女の話を真剣に聞いてあげるんだな?と言われたら、もちろんそうは行かない。急に知らない女性が目の前で喚いたら、普通に避けるでしょ。私は決して非道ではない。いましがたの「告白」の話とも矛盾はしてない。ここに人間関係の限界があるんじゃないの?って話なんだよ。

 

あの日、オーナーは私の帰り際に「こんなご時世だから。帰り道、不審者に気をつけて。」と言い、前蹴りのコツを教えてもらった。むしろ私が気をつけるべきは結婚詐欺師じゃないのかと思ったし、結婚詐欺と気づいたときにはもう前蹴りする元気もないほどに追い詰められているだろうとも思った。

 

「寒い海でぐるぐると漂流していたら、どんな島でも見つけたら飛びつきたくなってしまうし、それがゆくゆくは自分の首を絞めてしまうだろう。孤独や苦痛、トラウマや難局ばかりに思いを馳せるから、海の温度は下がっていくのだ。つまりは、自分のいるところが暖かくて平和であることを自覚し、足るを知って生きていかなければ、足場の悪い島で座礁しかねない!!!」

 

もしジムで急にこんなことを口に出したら、私も不審者の仲間入りだろうか。

 

随分と酔っ払った状態でこの記事を書いています。以上。

町田康の「告白」はぜひ読んでください。

私の化粧と顔についての話

今まで取り立てて発信していなかったことなのだが、実は私は化粧品が好きで、結構詳しい。

好きであるということと、職業的にコスメブランドは色々知って居た方が良いということもあって、「どこどこのアレ」と言われたらその化粧品の商品ビジュアルと色のラインナップはだいたい思い浮かぶ。友人が使っている化粧品などは、何気に凝視していたりする。

私が興味を持ち出したのは、本格的に化粧をするようになった大学生くらいからであるが、当時から年齢のわりには化粧品になかなかの額を費やしていたように思う。頑張ってシャネルやディオールも積極的に購入していた。

カメラロールに入っている自分の最古の写真は2013年(大学生)なのだが、かなりしっかりとした化粧を施している。ていうか濃い。デビューして間もない頃の「シド」のマオにそっくり。恥ずかしいと思うと同時に、可愛くなろうと日々頑張っていた自分を抱きしめたくなる。(今も含めて)試行錯誤の毎日は続いているのだ。

私の顔の要素をざっと挙げると、輪郭は卵型、色白、目は二重で大きめ、鼻は高いが丸め、口のサイズは普通で色素ほぼ無し。これだけ文字に起こすとなんだか無難な美女っぽいのだが、いざ実物を見るとおでんの具にありそうなほくほく顔で、なーんか野暮ったい。学生の私は日々化粧をしながら随分とこの謎のギャップ(要素と実情)を埋めようと努力しており、大学3年生のある日、結構すごい出来事が起こった。

 

忘れもしない秋の昼下がり、大井町駅。私は東急大井町線から京浜東北線に乗り換えようとしていた。大井町線のホームを一人でとぼとぼと歩いていると、後ろから男性に声を掛けられた。昼間からナンパされたのである。相手の顔もろくに見ないまま無視したら食い下がって来たので、はっきりと無言で拒絶のポーズをしたのだが、それでも全く引く様子がない。色々と捲し立てられ、相当しつこかったのを記憶している。そこで私は、(もうどうにでもなれ)と「あの!!僕、男なんです!!!」と低めの声で言ってみた。その時の私は赤みブラウンのアイシャドウに青みピンクのチーク、服装は全身MILKのフリフリだったのでそれを逆手に取り、加えて当時福山潤の声マネを練習していた(理由は別稿に譲る)ので、これを駆使して演出してみた。オタク女の超イタタエピソードである。(今でこそ笑いながら話せるが、それまでは思い出す度に足をジタバタさせていた)

当然ながら相手は「!?」という顔をし、その後すぐに「マジでキモすぎ」と捨て台詞を吐いて去っていった。マジでキモすぎはさすがにちょっとショックだったが、目論見通りにいったという意味ではこれで良かったのだと私は安堵した。

しかし、この様子をしっかり見ている人間がいた。私が京浜東北線のホームに到着し、列に並んで電車を待っていると、また後ろから声を掛けられた。今度は女性である。振り返ると、ニキビ面で肥満体型の女性。私は本能的に(なんかマズいことになったな)と悟った。女性は終始テンパった様子で「さっきのやりとり見てたよ」「男の子なんだってね」「事務所どこなの?」「●●(当時ちょっとだけテレビに出てたクソマイナーな俳優)って知ってる?繋がりある?」などと尋ねてきた。私は彼女の質問にどれ一つとして答えることができなかったが、見るべきは“彼女は私が男であることに確信を抱いてしまっている”という事実であった。めっちゃショックだった。

この出来事によって、私は自分の顔がどうやら男っぽいらしいということに気づいたのである。趣味や服装の好みからして完全にフェミニンな自分を信じて疑っていなかったのだが、「顔」という最大のファクターで自己疎外するという意味不明の事態に陥っていたのだ。そういえばロンドンハーツの企画で女装したはんにゃの金田とたほが激似って友人たちが騒いでいたこともあった。私は自分の顔をわりと長い間見誤っていたのだ。

 

そこから、私は化粧を見直し、元来の顔立ちと内面をすり合わせるには、「他人から見れば所詮おカマっぽいフェミニン」から離れたソフトな化粧が必要だという結論に至った。その後就活なども経て、徐々に化粧は自然になってゆき、今はあまり「顔が男っぽい」とは言われなくなった。

ちなみに、自然な化粧の最大のポイントは、薄づきの化粧品を選ぶことだ。@cosmeなんかで「発色が神!」なんて書かれているものはマイナス要素として参考にする。

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現在使用しているコスメ一式。色物は基本的にCHICCAでしか買わないことにしてる。

最近はブルベイエベなんて言葉も頻繁に聞くようになった。自慢じゃないが私は高校生のときからパーソナルカラーについては色々と勉強しており、2ちゃんねるのブルベスレに噛りついていた。(当時の化粧板は結構面白かった。今でも忘れられないのは「小沢一郎の使用コスメを特定するスレ」)

しかし肝心のパーソナルカラー診断には行ったことが無い。見た感じとりあえずブルベで間違いなさそうなのだが、確証は無い。さっさと行ってスッキリしたいのだが、今さらイエベですって言われて全てを見直す羽目になるのも怖い…。

美容誌を読むと、本当に様々なメイクの提案に満ち溢れている。抜け感メイクに小顔メイク、モテメイクや温感メイクなど数え切れないほどあるが、化粧というのは最後は誰のためでもなく自分のためでしかないから需要があり続けるのだと思う。実際、ある日ブラウンアイシャドウの色みを変えたところで誰が気づくってんだ、という程度のものなのだし。

この理論でいえば、図らずも男に内定してしまった大学生の私も自分のためのメイクを楽しんでいたのだから良いじゃん、ってなるのだが、やっぱりそれでも物事には限度があるよねって話である。

エンジン

春コミお疲れさまでした。もしこれを読んでいる方でスペースにお立ち寄りいただいた方がいらっしゃれば、ありがとうございました。お陰さまで、新刊のコピー本は完売いたしました。(ごく少部数ですが。)

 

ブログの更新に20日ほど間があいてしまったが、ブログを書く暇が無いくらい忙しく、そして充実した20日間であった。

やっぱり、同人イベントほど面白い活動は無い気がする。春コミで購入した数冊を今読み終えたところだが、どれもハズレなしで素晴らしく、久しぶりに二次創作で心が揺れる感覚を得て幸せな気持ちになった。

二次創作の良さは、親友と話す恋バナ(死語か?)のような愉しみだ。見ず知らずの人の作品であっても、共通の友人がいるようなもので「そうそう、この人そういうところあるよね〜〜!」と気持ちが盛り上がる。本屋で小説を選ぶというとは違う感覚で、「話の合う友人」の本を買いたいと思う。その中でその人の画力や描写力、あるいは言葉選びのセンスといったものに感嘆し、共鳴し、影響されてまた自分も書きたくなるというポジティブな循環へと繋がっていくのだ。

先日の春コミでは、私の書くものが好きだと言ってくれた人などもいて、とても励みになった。創作活動の内容に限らず「私」を好きだと言ってもらえているような気がした。(言ってくれた人がそういう意図ではないというのはもちろん自覚している。)なぜなら、二次創作であれなんであれ、私が書いたものは確実に私の命が吹き込まれいてるからだ。

 

今回の芥川賞を受賞した町屋良平「1R1分34秒」はとても素晴らしい小説だった。この良さについてずっと考えているのだが、なかなかうまく言語化できていないので、もし興味がある人は読んで私に感想をぜひ聞かせて欲しいと思う。

これは拳闘小説なのだが、先日新聞を読んでいたら作者の町屋良平氏が「ボクシングと小説の親和性」について、「自分の体から表現されたものがどうなっているのかを毎日確認しながら積み重ねて行くところ」と話した、とあった。私はこの言葉が心に残っている。小説を書くという行為について、自分の「体」から発信されているとは今まで考えたことがなかったからだ。

この言葉を踏まえて「1R1分34秒」を読んでみると、なるほどフィジカルの強い人間から培われた物語や言葉がそこにあるように見えてくる。たまにニュース番組でスポーツ選手のインタビューなんかを流し見していると、急に心が捉えられる言葉が飛び出して来ることがある。私が一番良いと思ったのが、卓球の福原愛選手(もう引退してるけど)が、団体戦の主将として心がけていることについて「選手みんなの心の温度を同じに保って行くこと」と答えたものだ。技術や勝負強さ、あるいは身体性といったものは心によって裏付けされていることを熟知した言葉であり、スポーツについてはてんで素人の私のとっては新鮮に響いた。

掃除機をかける、電車に乗り遅れないように走る、食事をする、電卓を打つ…そういった私の日常での肉体のはたらきが物書きする場面でも当然作用していて、同時に文字として残るという意味で書くということは特別だ。よく作家が自分の作品を「分身」と表現することがあるが、私の中でこれがより真実味を伴ってきている。

 

正直なところ、私は自分に文才があるとは思えない。面白いシチュエーションや誰にとっても分かりやすい文章というものは頑張れば書けるかもしれない。ただ残念ながら、読んだ人にぐさっと刺さってその人の日常のなかでしばしば思い出されるようなものを書く技術や才能は足りていないと思う。これは私が日々プロでもアマでも色々な人の書いた文章を意識的に読んでいるなかで得た実感でもある。

でも、もし私に長所があるとすれば、書くということに対するエンジンは常に回っているということだ。このブログを書いていても、次はこれ、次はあれについて書きたいなとどんどん考えが膨らんでくる。たまに思うことがあってこのエンジンが切れそうになることがあるが、このときの自己嫌悪はなかなかのものである。ベッドに座ってぼんやり涙を流しているだけの時間は、どこか勿体無い。

 

嬉しいことに、昨日は私のこのブログを読んでいると言ってくれた人にも出会うことができた。何か具体的な夢があって書いているわけではないが、「あれよかったよ」と面と向かって言ってくれる人に出会えるのは夢のような出来事である。

 

春コミはペダルでスペースを出したけど、次はヒプマイで夢小説か何かやってみたいなあ。一二三が女から巻き上げた金で買った食材で、独歩のあのほっそい身体が出来上がっていると想像すると、何か形にせざるを得ないように思う。そして、二次創作じゃなくて自分のオリジナルの小説というのも書きたい。実はこれは今まで何度も試みているけど、ちゃんとしたものが出来上がったことはまだ無い。次こそは自分の肉体を信じてリベンジしたいと考えている。

ボランティアの扉を叩く

先日実に良いタイミングに恵まれ、学習支援に携わる方の話を聞き、実際に現場を見学させてもらった。ここでいう学習支援とは、家庭の経済的な事情によって塾に行けない子どもに無償で勉強を教えるボランティアのことを指す。

そういう現場があることはなんとなく知っていたが、実際に行ってみようとなるまでには結構な葛藤があった。まず私には学習指導の経験がほぼゼロである。学生時代、ありとあらゆるアルバイトを経験してきたが、人に何か教えることだけは全く触れてこなかった。部活やサークルに打ち込んでいたタイプでもないので、後輩という存在すらあまりピンと来ないレベルだ。そして、もちろんボランティアの経験もゼロ。

学習指導自体は慣れればなんとかなるだろうと楽観的に見ていたが、ボランティアについては意識的に避けて来たという部分もあったので余計迷いがあった。私の手に負えないリベラルがそこにありそうだからだ。話を聞きに行ったら最後、「安倍政治をゆるさない、戦争法(安保法制)反対、脱原発!」などと唱えられ、首を縦に振らないと帰らせてもらえなかったらどうしようという不安があった(今挙げたような思想が悪いとは特に思っていないとして)。

しかしこんな妄想ばかりしていても事は一向に進まない。せっかくチャンスが目の前にあるのだ。もし、その場で少しでも政治色もしくは宗教色のある「勧誘」があったらお茶を濁して逃げよう。加えて、実は活動内容が私が思っている以上に福祉性が強かったらこれも(荷が重いので)丁重にお断りしよう。以上のマイルールを取り決め、私は決意を固め向かったのであった。

結論から先に言うと、このマイルールは杞憂であり、私のボランティアに対する負のイメージはひとまず払拭された。(よく考えたら今回のこの活動は運営元の肩書きからして「勧誘」は有り得ないことであり、単に私の考えすぎだった。)逆に、「政治や宗教を超えた、もっと高い次元の理念をもとに活動している」みたいな感動も特に無かった。なんというか、みんな淡々と目の前の業務をこなしているという印象に近い。

話をしてくれた方も「聞いてみて違うなと思ったら全然帰ってもらって大丈夫なので。」と何だかクール。まず、基礎知識として貧困家庭の子どもがおかれている教育問題についての語ってくれた。これが知っているようで知らないことが多く、非常に勉強になった。

日本には「子どもの教育」という面で見過ごせない問題が山積みになっている。私たちそれを知ったり、実際に目の当たりにしたりすると、思わず社会を抜本的に変えられないものかと憂いてしまいがちだが、それよりもまず目の前の子どもにできることをやっていこうよ、というのが活動の趣旨。とてもシンプルでわかりやすい。

そこから話は実践編に移る。実際の活動内容の説明と、学習指導における簡単なレクチャー(指導教科の分担から異性の子どもに接する際の注意事項まで幅広い)を受けたあと、さあ現場を見てみましょうということで近くの大部屋へ早速移動。

レクチャーのなかで、家庭に事情を抱えている子どもの傾向の一つとして「試し行動」(初対面の大人にあえて反抗的な態度をとって様子を窺う)というものがあると聞いて少しビビった。「(分かっていても、いきなりそんな態度取られたらショックだろうな…)」と思いながら扉を開けたが、そこは至って平和な雰囲気だった。陽の差す明るい部屋で子どもは各々自分のペースで勉強し、わからないところがあるようなら大人(大学生からおじいさんまでいた)が近すぎない距離感で淡々と教えてあげる。これが適切な言葉かは分からないが、ボランティアらしい色や個性は全く無かった。私の随分身勝手なイメージで、もう少し暗い雰囲気の子どもと奉仕に勤しむ大人のコントラストがあると思っていた分、この光景はまさにリアルだったといえる。

「子どもたちが行きたくない場になってしまったら元も子も無いので、指導するような言動は控えてください」という説明があった通り、指導ではなく支援というスタンスが一貫している。そのお陰か、学校や塾ではお目にかかれない優しい時間が流れていた。私も部屋をくるくると周りながら、使用されているテキストなどをさりげなく観察し、一言二言子どもと会話をしてみる。話しかけると「試し行動」はおろかみんな驚くほど素直でびっくりする。私のほうが人見知りじゃないかと恥ずかしくなるくらいだった。

最初に話をしてくれた人の「何はともあれ子どもは本当に可愛いですよ。私は現場の仕事がとても好きです。」という言葉が脳内をよぎり、とてもよく分かる、と噛み締めた。この子たちみんな幸せになってほしいなと心から思い、なぜか目頭が熱くなった。私は子どもは好きだが、日頃こういうことを想っているタイプでは全くないので、どうしてこんなに気持ちが昂ぶったのかはよくわからない。ボランティアマジックだろうか。

子どもたちが帰った後のちょっとしたミーティングも見学させてもらった。子どもがいなくなるだけで場の空気が一変するのが面白かった。失礼かもしれないが、空気が少しだけ錆びる。私でもよく知っている、どこにでもあるお馴染みのミーティングのひな形だ。ここで初めてボランティアの大人それぞれの個性が見えてくる。

例えば、「Aくんは今日この教科のここが苦手だったようだけど、次回はどのように教えましょうか?」といった話題について、「そもそも日本の学習指導要領は〜…自分が海外に住んでいたときは〜…」と言い出す人がいたのにはギョッとしたし、司会役がそれをうまーく適切にいなしていたのは感動した。色々な人が集まってくる場なので、日本を憂う小難しい人間の相手も皆お手の物なのだろう。口の悪い私なら「うわ〜(笑)今その話要らなくないですか?」とか反射的に言いかねないので、こういった面でもとても勉強になる。

 

帰りがけに、大学生の女の子から「毎回こんな感じでやっていますので、お忙しいとは思いますが、お時間あるときにお力を貸してください。今日はありがとうございました。」と声をかけられた。小柄で可愛らしく、とても心が綺麗そうな女の子だった。私が大学生のときは周りにこんな子一人もいなかった。私は社会人生活を経て徐々に老婆心が目覚めこのようなことを始めた次第だが、この子は学生の時点で目を向け活躍しているのだ。彼女たちのことを何も知らないで「意識高い系(笑)」とか「カンボジアに井戸掘ってる系男子(笑)」とか揶揄してた頃の自分をぶっ飛ばしてやりたい。

私も、学生時代に煙草をバカスカ吸いながら大量のビールを飲んでは即座に吐き、吐いたものを見て「え、これまたビールとして飲めるレベルで新鮮じゃね?」とか騒いでいる暇があれば、もう少し頭を働かせて色々な現場を見に行ってみれば良かったと思う。新しく物事を始めるに遅すぎるということは無いのだろうが、子どもにスポットライトを置いた活動は、学生のうちからやっておけば良かったと思うことの一つだ。子どもにとっても学生のほうがきっと親しみやすいし、学生にとってもまだ子どもの視点を完全に忘れていないので、より適性があるように思う。働き始めると、どうも余計なことばかり言い出したくなってしまう。

一方で、帰り道が一緒になった主婦の人からは「まだまだ遊び足りないくらい若いのに、とても偉いですね(文字におこすと微妙だが、全く嫌味ではなかった)」と言われた。そうか、私はまだまだ遊び足りないくらい若いのか。なのにボランティアをやろうとしてる。若いのに。確かにふと「私どこに向かってるんだろう?」と思うことはある。でも、毎日フルスロットルで遊びまくろうという気持ちは、もはや薄れつつある。そういう意味では今までバカみたいに飲みまくってたのも悪ではなかったといえるのか。

とりあえず、やれるだけやってみようと思った。新たな場所でこちらも無償で勉強させていただくのだ。

 

昨日母と電話をし、最近の休日はどう過ごしているのかと尋ねられ「家庭に事情がある子どもに勉強を教えようと思っている」と答えた。すると母は絶句したのち「また突拍子もないこと始めるんだねアンタは。立派だけどさ…まさか宗教とかじゃないよね?」と言い、私は笑って否定した。やっぱり、入口はそうなるよね。

 

BL談話

2月末のイベントでスペースを出すことになったので、またそれに向けた小説をそろそろ書き始めなくてはと考えている。ジャンルやカップリング、内容などは明記しないが、最近私はあることに戸惑っている。

年をとるにつれて、BLというものが全く分からなくなって来ているのだ。

たとえばツイッターのタイムラインに二次創作が流れて来て、節々に「萌える〜〜〜♡」と思う時があるにはあるのだが頻度としてはさほど多くないし、数年前のように自分からも何か泉のように溢れ出ては発信していくというエネルギーは随分と薄まっている。

昔の自分の創作物を引っ張り出しては、「ああ、こういうこと書きたかったんだろうな。わかるよ、お前これ書いてた頃この話しかしてなかったもんな。」と自分を理解こそすれど、今もう一度同じ性質のものを生み出せと言われたら相当難しい。文体はウェットで内容もサッドコア極まりない。こんな不健康が滲み出るようなもの、今は書けんぞ。一体当時の私は何がそんなに辛くて苦しくてこんな悲恋をオカズによろしくやっていたんだろう。今はもっと丸くなっているし、日々辛いこともあるが人を元気にできたら良いなとか考えるようになっている。私も随分と社会的になったものだ。

こういうことがあるから定期的にブログであれ小説であれ、まとまった文章を残しておくという作業はやめられない。

 

どんなコミュニティでも我々の世代なら一定程度盛り上がる(?)話題として、宇多田ヒカルの「DISTANCE」と「FINAL DISTANCE」どっちが好きか問題がある。私は圧倒的に前者だ。実は先に聴いたのはFINAL...のほうで、重厚な楽曲とあの先進的なPVとが相まって私は初めて聴いたときかなりの衝撃を受けた。心に刺さる名曲だと真面目に思った。ところがそれから暫く経った後、「DISTANCE」という元の曲があることを知った。聴いてみたら、「あ、こっちのほうが明るいけどどこか寂しい感じがして好きだな」と即こちらに軍配が上がったのであった。

「楽しいのに、幸せなのに、悲しい、あるいは寂しい。」という言葉が当てはまるものに私は今も昔もずっと惹かれている。それはそれこそ音楽でも、小説でも、絵画でも、シチュエーションでも何でも良い。ふと当てはまるものに出会ってしまうと、途端にぐっと心が掴まれて釘付けになる。逆に言えば、「疑いようもない幸せ」のようなものはなかなか受け入れられない。まばゆいほどの光に対しての、ほんの一筋の影のようなものを私は信用しているし、いつも探しているし、表現してみたい。

この考えは言語化こそ最近の話だが、常に通底していたものなので、お陰様で趣味や好みが時によって大幅にぶれることはない。私は短調の曲が好きだし、ハネケの映画を繰り返し観るし、倉橋由美子の小説をとりあえず人に勧めるし、学生サークルを見るとイラつくし、LINEで絵文字を使う男性が苦手だし、ジャパレゲ(死語か?)を聴くとアホみたいに疲れる。だから、BLについても選り好みをしてきたし、特に商業BLについては本当にごく一部しか見ない。好きな作家やカップリングについては思い出す度に細々とチェックしてきてはいたものの、最近に至っては仕事をするようになって自分も疲れたのか、BLという根底にあるシステムの限界を感じ始めかけている。

数少ない私の手元にある商業BLのなかで永井三郎氏の「スメルズライクグリーンスピリット」という作品がある。そこのラストにて、あるキャラクターがゲイの主人公に対して「俺さ…これからも…お前のこと…考えていきたい」と言うシーンがある(このセリフにたどり着くまでのプロセス含め、私はここを読んだ時に心が決壊して床でのたうち回った)。私の今のBLに対する気構えは正にこんな感じだ。システムに限界とか御託を並べたくなる一方で、それでもやっぱりこれからもお前のこと考えていきたい。

 

先日飲みに行っていて、そのまま友人宅に泊まらせてもらう流れとなった。しかし、私ひとりが一向に眠れず、勝手にその家のNetflixを起動して「テニスの王子様」のアニメを明け方までずっと視聴していた。まずは一番好きな第27話「カルピンの冒険」を観て(久しぶりに観たのにセリフをほとんど全部覚えていた)、その次は関東大会決勝の桃城・海堂vs丸井・ジャッカル戦を観た。この話はもちろん丸井くん目当てで選んだのだが、桃城と海堂ってこんな濃密な関係だったっけ?と何故かそちらが気になってしまった。気合いを入れるためにお互いの頬を殴り合ったり、ブーメランスネイクを攻略されてフリーズしてしまった海堂を「(お前が一番辛いよな、海堂…)」とか言いながら身を挺してカバーする桃城がいたり。うーん、めっちゃBLっぽいやんけ。でも申し訳ないが、そこには底抜けの暑苦しさと努力の色が見えるので全く好みのBLではない。一応まだ少しは私も鼻がきくようだ。

アニメの丸井くんは自分が妙技を繰り出す時以外は、相手がどんな振る舞いをしていようと終始興味がなさそうな様子だった。そうそう、彼のこういうところがめちゃくちゃ好きなんだよ私はー…。とか書いていたら夜も更けてしまった。肝心の自分の小説は、明日から取りかかるとする。