たほ日記

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ホットヨガと異邦人

今月末で通っていたホットヨガスタジオを退会することにした。1年ちょっと通っていた。

理由は色々あるが、一番は毎度汗だくになってシャワーに駆け込むため、いちいちその後のケアの化粧品を持って行くのが面倒になったこと。そして、これは大して気にしていないことだったが、いつもとても混んでいた。ホットヨガは本当に人気なのだ。

人気であると同時に混む要素は色々とある。そもそもの会員数が多いしかり、平日の夜などは特に人が集中しやすいしかり。とりわけ人気の先生のクラスは芋洗い場状態だ。

最初に入会したときに、スタッフの方から「先生の合う合わないというのもあるので、ぜひ最初は色んなクラスに参加して、自分にあった先生を見つけてください」と案内された。それは本当のことで、実際に先生の合う合わないというのはかなり感じた。

合うはまあわかるとして、合わないということがどういうことなのか少し紹介しておくと、ヨガの先生にはたまに物凄く色っぽい人がいる。みんな基本的にはウェアはぴったりとしたものを着用しているのだが、色っぽい先生はいやに胸が強調されるような格好だ。(こういう先生は、えてして顔は特に美人ではないのが不思議)それだけならいいものの、声までおっとりしているので、ボリュームが小さく尻すぼみな言葉が何を言っているのか分かりにくい。そのくせ独り言が多い。セレクトするBGMのセンスが趣味丸出しで受け容れ難い。要するに、こちらが全然集中できないのだ。素晴らしいボディにはもちろん憧れの念は抱くが、なんというか、何に金を払っているのかよくわからなくなってくる。キャバクラヨガかよ。

 

まあこんな先生もごく一部なので、あとは大抵が普通に合う先生だったといえる。なかでも私が気に入っていた先生は、「私はヨガの先生」という職業意識をしっかり持っている人で、言葉も聞き取りやすいうえに非常にわかりやすく、個人的な質問なんかにも丁寧に対応してくれる。たまにあんまり面白くはないジョークを飛ばし雰囲気を良くしようとも努めている。私はその先生のクラスには積極的に参加していた。

ところが、ある日その先生が当日急に休んでしまったことがあった。緊急代行という形で、そのクラスは他の先生が担当したが、あの手の先生が当日「欠勤」するということは珍しいなと不思議に思っていた。

翌日、またその先生のクラスに赴くと、今回は普通にいた。体調不良ではなかったようだ。しかし、クラスが始まり、先生の開口一番に私はのけぞることとなった。

 

「えー、昨日はクラスを休んでしまってごめんなさい。昨日、母が死んじゃったんです。このあとは、特に休むつもりはないのでご安心ください。いやー、みなさん親孝行はしたほうがいいですよ(笑)じゃあ、始めます。」

 

この最後の(笑)は私の潤色でもなんでもなく、本当に笑っていたのだ。もちろん生徒一同は凍り付いていた。ホットヨガどころじゃねえだろ、あとこのあとは休むつもりはないってどういうこと!?たった一日休んだだけで全て片付いたの!?大丈夫なの?!って全員思っていたと思う。先生は淡々と仕事をしていたが、生徒は混乱していた。

そして私は「鳩のポーズ」をしながら、カミュの「異邦人」のことを思い出していた。「きのう、ママンが死んだ。」のフレーズとともに。先生に「ムルソーかよ!」ってその場でツッコミを入れたかった。 

異邦人 (新潮文庫)

異邦人 (新潮文庫)

 

 「異邦人」はこれまでの人生で二度読んだ。一度目は中学生のときで、二度目はわりと最近だ。当然のことかもしれないが、二度目のほうが主人公ムルソーという男にぐっと寄り添えるような思いがした。

 

先日彼氏と飲んでいて、偶然この「異邦人」の話題になった。そのとき彼は「ムルソーってさ、サイコパスなのかな?」と言い出した。ムルソーにはマリーという彼女がいて、マリーが私のこと愛してる?的なことを聞くと、ムルソーは「わからない」とにべもなく答える場面がある。彼氏はここを突いてサイコパスなのかな?と持ちかけたのだ。

その時の私の意見はNOだった。寂しいことだが、彼女を「愛している」と本人を目の前に胸を張って言える男性のほうが少数派のように考えたからだ。ふと、私は彼に「私のこと愛してる?」とその場で尋ねてみたくなったが、「なんで今俺にそれを聞くんだよ(笑)」と流されてしまうことを想像してやめた。つまり、そういうことなのだ。

 

もし、ムルソーサイコパスと言うのであれば、冒頭の「きのう、ママンが死んだ。」を突くべきではないかと思った。もちろん、この「母が死んだにも関わらず涙すら流さなかった冷淡な男」というレッテルが物語を進めていくので、これは私が指摘するまでもないことなのだが、あえて言うならここしかない。そして、もしこれで本当にサイコパス認定をすれば、あのヨガの先生もサイコパスといえてしまうのだろうか?(しかし、ムルソーはそのうえ人殺しもしているから話の土台は全く違うのだが、断片を拾った場合、として)

今更ではあるが、そもそも私はサイコパスという言葉が好きじゃない。なんというか、世の中が「サイコパス!」とギャグのように連呼することによって、本当に傷ついている人がどこかにいるような気がするからだ。だから、当然ヨガの先生のこともサイコパスなんて言いたくない。ただ、なんとなく「異邦人」のことを思い出しただけだ。

 

・・・まあ普通はここで話は終わるわけだが、続きがある。実は、先日私は本当に偶然この先生のSNSを発見してしまった。おそらく仕事用のアカウントではあるのだが、かなりプライベートも露出していて、思わず興味深く見てしまった。

そこで驚愕の事実を知った。この先生、私と年齢がほとんど変わらないのである。

 

失礼な話になってしまうが、私はずっと、この先生は自分より10歳は上だと普通に思っていた。むしろ、本当はもっと年はいっているけど、ヨガのお陰で若く見えるようなイメージだった。ところが、それは真逆。SNSで初めて見た、先生のあまりにも「幼い」印象の私服姿に胸がざわついた。なんだか、実はとても苦労している人なのかもしれない。

私くらいの年齢で母が死ぬ、となるとそれは大抵の場合老衰ではないしショッキングな出来事だ。いつか必ず来るその日を覚悟できるほど、肝の座った大人でもない。しかしそれをある意味スッと受け容れて、翌日から普通に仕事ができてしまうあの先生。サイコパスという呼ぶこともできるかもしれないが、私は純粋な敬意に似たものを感じた。

他人から見るその人は、本当にその人の一欠片でしかない。我々は平気な顔をして、その一欠片でその人を判断してしまう。ホットヨガ中、私の右隣で「子供のポーズ」をとっていたあの女性も、床に頭を預けながら悲しんでいることがあるのかもしれない。そういうことを優しく分かってあげられる人間になるにはどうしたら良いのだろう。少なくとも、ホットヨガを続けているだけではなれない。だから私は、ホットヨガをやめる。