たほ日記

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過去ブログから移植:男性の目を20秒以上見つめられないことについて

案の定だが、また更新が空いてしまった。

というのも、人生不思議なもので、前回の記事にて「せっかくだから恋バナでもします」と息巻いていたくせに、

この更新の直後にその時交際していた男性との関係が破綻してしまい、その間に恋バナ第一弾として書こうとしていた人(以後リョーマくん)と再会し、彼に対して抱いていた気持ちが変わってしまうという出来事もあり、急に書くことが無くなってしまったのだ。

なので、今回は別に恋バナとは関係ない話…。

 

今日、私は生まれて初めて「菓子折りを持参して謝罪へ行く」という体験をした。

謝罪の内容は、私の失言だった。

 

先日、私はとある顧客と会食をした。

お酒を飲みながら楽しく会話をしているうちに、話題がある人のことになった。顧客が、その人は独身なんだけど…。というところで、私が「あ、ご結婚されていないんですね」と言った。これがいけなかったらしい。

その場は普通に終ったのだが、後日会社を通じてクレームの嵐。私名指しでかなりご立腹されているようだった。

 

上司にその旨を話され、「こういうこと言ったらしいけど、自分で覚えている?」と聞かれた。私は正直言って覚えていなかった。自分で考えられることといえば、独身なんだという話に「そうなんですねー」くらいの相槌を打つニュアンスで発言したんだろうということだ。それを相手は「いい歳してまだ結婚もできてないんですねー」という意味に拡大解釈し、暴れ狂ってしまったと思われる。後に知ったことだが、彼は業界きってのクレーマーとして名高いらしい。先に教えてほしかった。

 

これは言った言わないの問題ではなく、私が彼にそう思わせてしまったということが問題なのはよくわかる。

なので私はその場ですぐ彼に直接謝罪の電話を折り返したが、直接謝罪してもらわないと気が済まないと言われたので、今日出向くことになったという次第だ。

電話の時点でも私は相当なじられ、挙げ句の果てには人格の否定にまで至ったので、私は私でそれに対して随分と腹を立てた。

怒りは誰にでもある感情だ。しかしその感情をどのように料理するかはその人それぞれで違う。

内にいつまでも蓄える人もいれば、すぐに相手に突きつける人もいる。それはそれでいい。

しかし、モラル(あまり好きではない言葉だが)的な観点でいえば、その発散の過程で人格否定をするのはルール違反ではないだろうか?

理由は簡単、それをすることによって問題はすり替わるし、しかも人格は基本的には変えられないものなので解決が遠のくからだ。

私はこんな基礎的な良識すら持ち合わせていないオッサンに明日頭を下げなくてはいけないのかと思うと憂鬱でなかなか寝付けず、夜な夜なインターネットでクレーマーの対処法なんかを検索していた。

最初は気休めで色々と記事を読んでいたが、まず実務的には録音は必須であることや、もし土下座などを強要された場合は強要罪にあたるので応じなくていいなど、なかなかに学びがあった。そして、テクニック的には相手の話にむやみに反論しないこと、そして目を見て聞くなどが効果的と書いてあった。

 

なけなしの知識を叩き込み、いざ当日その場へ向かい、まずは今回の出来事についてこちらから謝罪。

そこからはアンストッパブルなスーパー説教タイムが約2時間続いた。

 

内容は色々であったが、私は忍足侑士よろしく心を閉ざしていたのであまり覚えていない。

ただ、例によって「育ってきた環境が悪い」だの、「性格が社会で汚れてスレてしまっている」など、やっぱり何度反芻してもそれを言っちゃおしまいだろということを言われて血管はブチ切れそうだったし、話のコアである結婚についても彼独自の結婚観について口の端に唾をためながらまくしたてられ、随分不愉快だった。

そのご立派で一見寛大な結婚観もどこか配慮に欠けていて今の恋愛・婚姻のダイバーシティ(これも嫌いな言葉だ)にそぐわないし、そもそも目の前にいる人間(私)が未婚ということは知っているようだが、それについても「君は今楽しいかもしれないけど」とコメントされ苦笑するほかなかった。お前、私が男にピアス引きちぎられたことがある話聞くか?

この話のときに私はやや挑戦的に「お話は分かります。何せ私も独身ですから。」などと、オッサンの言うところの「適齢期」である私がここに未婚で残っていますが?というメタ的な意味を込めて返したが、「お前の話は聞いてない」で終了。何の面白みもないジジイである。

 

そしてお説教のエンドロールはお決まりの「君のためを思って言っている」「こんなこと親は教えてくれないだろう」で全米が涙。

ある意味では親は教えてくれなかったことばかりであった。出来れば知らずに死にたかったものだ。

まあ、あんまり捻くれていても私がここに来てしまった意味はなくなってしまうわけで、仕事に対する気概的な側面の話では一部でなるほどなと思うこともあった。

ただ、実は私は来月末に退職予定で、この業界ともオサラバだ。ひたすらにタイミングが悪かった。

「最後に反論でもあればどうぞ」なんてのも言われたが、本当の意味で「私からこれ以上お話することはありません」で終った。

 

帰り道にビールを飲みながら、私はとりあえず反省をしてみた。少なくとも時間をお互いに割いたことは確かなので、自分でもこれを少しでも社会人生活の糧にしたかったのだ。

そのなかで「前日に読んだクレーマー対策、結構良かったなあ…」という気持ちになった。なぜなら、私は説教されている間の時間、ずっと相手の目を見続け、相手が目を逸らすタイミングをチェックするという「仕事」で随分と時間を潰せたからだ。

 

急に話が飛ぶようだが、私は昔から人の目を見るのが苦手だ。殊に男性相手だと本当にこれが難しい。

冒頭で少し触れた「リョーマくん」のことが好きでたまらなかった頃の話だ。彼は相手の目をじっと見て話を聞くタイプの人で、それが私は苦手だった。すぐにこちらは目を逸らしたくなってしまう。自覚はもちろんあった。リョーマくんはそんな私を「俺と20秒以上目を合わせてくれないよね。何か照れてるの?そういうところ可愛いよね」なんて言われ(私は彼のこういうキザな台詞を言っちゃうところが本当に本当に本当に大好きだった!!!そして別に私は可愛くない…)心がその度に決壊していたわけだが、別にリョーマくん相手だけではなく、歳の近いいい感じの男性に対してはそうなのだ。我ながらいやらしく弱い生き物だとは思う。

 

つまり、私の人生というか生活に関係がなければ関係の無い人、いっそ恨みを持てるレベルの人間であればあるほど、何の苦痛もなく目を見続けることができるということが今日判明したわけだ。

ときどき、道ばたで寝ている酔っぱらいやいわゆるホームレスをじっと見てしまうことがある。見てはいけないということは分かっている。クラブなどに行っても、たちの悪い人ほど見てしまう。もちろん、目までは見ていないが、少し通底しているところはあるのではないだろうか。面白いことに、見てしまうどれもこれも男だったりする。

 

今日の一件でも、つくづく私はオッサンって嫌だなあと思ってしまった。もし自分の父親が私の知らないところで同じような説教マシーンとなっているかと思うと、殴ってでも止めにいかなくてはと思う。

社会でつまらないベクトルで自信をつけてしまった男は醜い。そういうヤツは大抵容姿もおのずと醜い。合コンに赴いて、相手が少しでもオッサンだとげんなりする。(ここでいうオッサンとは、単なる年齢的なことだけではなく、その要素を持ち合わせているか否かが重要)もはや、その概念が憎い。こういう人たちがはびこる限り、永遠に日本の労働というものは洗練されていかない。こういうことについてマッチョ精神がどうのこうのなんて話をよく耳にするが、マッチョも何も、そんな空想の筋肉は誰も守れない無用の長物であり、くだらないマッチョ精神を持っているやつの身体は大抵貧相だ。

 

憎いやつの目はどれだけだって見つめられる。でも、困ったことに恋愛のセオリーの基礎に「目をみつめる♡」という条項はいつも君臨している。頭ではわかる。あのオッサン、もしかして今日で私のこと好きになっちゃったかな。でも、私が本当に選びたい人は私が目を見つめられない人なのだ。

 

ちなみに、当該のオッサンが目を逸らしたタイミングは、自分の話に一拍置きたいときにだった。つまり、少し相手である私にボールを譲った瞬間である。息の根を止めるなら、この瞬間だったんだと思う。しかし私は何もしなかった。こんなところでずっとキャッチボールしていたら、いつまでも結婚できなくなるような気がするからである。

 

たほ

過去ブログから移植:3年分の顛末書

このブログの存在を久しぶりに思い出したので、自分で検索して見てみたら、なんと3年も放置していた。

新しくブログを開設するのも良いかもしれないが、せっかくなので広告だらけ(長期更新を怠っていたため出現する)だが、これを更新してみようと思う。

 

まあまず3年も経てば、人間いろいろあるもので、書く文章のテンションもおのずと変わってくる。

3年前の自分の記事を読んで、まず思ったことは「若いな」ということだ。

 

この頃はきっと自分のことを「乙女ゲー界の切り込み隊長」くらいには思っていただろうし、自らの発言全て正しいと思っている。

しかし、久しぶりに覗くと面白いこともあるもので、グッズに対する嫌悪を書いた記事に対して、全然知らん人から否定的なコメントがついている。そのコメントを見たのも、ここ最近のことなので、もちろん今更言い返す気もなくただただ苦笑するのみだ。むろん、その否定コメントのほうが圧倒的に言っていることが正しい。

 

この3年間は、自分がまず大学を卒業し就職したということもあり、全体的に自分の思うところが「正しくないかもしれない」ということに気づかされることの多過ぎる日々だった。当時心酔していた乙女ゲーのキャラクターたちも、付き合っていた彼氏も、本当にやさしいヤツだった。

 

ただし、自分が正しくないんだ…と悲嘆していても仕方なく、生活は続けていかなくてはならず、でも自分には自信がなく、その心持ちのギリギリのラインをずっと闘っている。今もそう。

 

3年の間に、それこそ乙女ゲーもその殆どがソシャゲに移行してしまい、どうしてもソシャゲ全般と肌が合わない私は、自動的に乙女ゲー自体とも疎遠になってしまった。たまにコルダのイベントに足を運び、胸を温めているが、実質ただの「たまにイベントに現れるおばさん」といった仕上がりで、かといってオタク魂も成仏できてなくて、随分と中途半端な存在となっている。

 

こうなってしまえば、もうこのブログに書けることなんて無いはずなのだが、書きたいことがあるとすれば、実生活の恋愛についてだ。

私はここ数年でおそらく50-60回程度合コンに参加し、婚活パーティーなるものにも参加し、そちらばかりにうつつをぬかしていた。

今は落ち着いているが、この落ち着いたタイミングこそに書くべきことは残っているのだと思う。

大学時代、乙女ゲーや声優にズブズブになった女が、いざ社会で人並みに恋愛しようと思うとどのようなことになるのか。

本当の「たほバイオレンス」はここから始まるのだ。

 

先に結論を言うと、ひどく苦しむことになる。

 

別に私の恋バナなんて誰も聞きたくないだろうが、まあそんなんだったらブログなんてものはこの世からいらない。

いわば、3年前に「寿嶺二~♡」していた自分に、寿嶺二と同い年になった私が、事の顛末を知らせにいくような感覚だ。

今なら寿嶺二がいかにプロとして仕事を頑張っているかというのがよくわかるし、心から尊敬出来る。やっぱり推しは寿一択。

 

オタクだった私が経験たくさん積んで恋愛上手になりました♡って言いたいんだろって誤解されるおそれはあるが、

実際全然上手じゃないし、笑い話程度のものなので、誰かがこれで笑ってくれればいいなくらいには思っている。

 

結局導入っぽく終ってしまった。ここから本編始めても、もう誰も読まないだろうな。

というわけで、次回に譲ります。近いうちに更新する…はず。

 

たほ

 

4月13日(初投稿らしい話)

ブログを新設した。

今まではたまにじゅげむで更新していたが、ある日スマホで自分のブログを閲覧したときにかなり見辛いことが判明し、腹を立てて移動。

しかし、自分で書いたとはいえ、ちょっとでも過去になると自分の書いた記事に殺意が芽生えるあの感覚はなんなんだろう。まだアカウント残ってると思うけど、mixiの日記とかコミュとか絶対に見返せない。

 

でも、元々は日記とかブログとか好きな人間ではある。

ひとつ自慢がある。

高校1年生のとき、個人ホームページを作るのがとても流行していた。ペップスとかモバスペとか言えば、ピンとくる方はいると思う。私も例に漏れずクラスの仲良い子と2人で共同ホームページを作ったのだが、私はその中の日記を1年間毎日更新した。当時ものすごい頻度でブログを更新していたしょこたんの影響が大いにあってのことだったと思うが、とにかく毎日書いた。テスト期間だろうとインフルエンザに罹ってろうと、「毎日更新」に拘っていた。

読んでいるのは勿論高校の同級生、部活の仲間、せいぜい他クラスの子までではあるのだが。ある日、他クラスの全然知らない男の子に声を掛けられた。「日記読んでるよ、面白いね。」という主旨の話で、私は舞い上がった。全然知らない人が読んでるなんて、途端にアイドル気分だ。どんな内容であれ毎日続けることによって読者は増えていく、ということをよく学べた。

のちに、ホームページは乗っ取りに遭って閉鎖となった。判明した瞬間はもうパニックになって、当時パソコンに詳しかった同級生に泣きついてキャッシュを集めてもらったりしたが、完全にあの1年分が私の手元に戻ることはなかった。

一緒に運営していた友人は、その頃には完全にホームページに無関心になっていた。(彼女は多分5日分くらいしか日記も書いてなかった。)

あれだけ仲良しだったのに、今では全く連絡はとっていない。この前Facebookで見かけたときは、レインボーパレードに参加している写真をアップしていた。彼女はもう、かなり遠いところに行ってしまっているようだ。

 

1年分書き溜めたものを失うのはかなり痛いが、これで良かったと思ってる。もし今突然蘇生して目の前に現れたら喜んで読むだろうが、のちに恥ずかしさでのたうち回るのは目に見えてる。

でも、知らない子に面白いと声を掛けられる程度にはキレがあったんだろうなぁ。

 

今はインターネットの海に浮かべるだけの日記なんてものよりも、よっぽどSNSは発達している。そりゃ私だって前略プロフィールくらいもやってたが、それは別の話として、充実度は全然違う。インスタグラムなんて本当にすごい。憧れる。2回ほどアカウントを作って参戦を試みたことがあるが、失敗した。「食べものをいちいち写メるなんて」とか「インスタ蝿(笑)」とか「匂わせポエム」とかもうそんなことを揶揄う以前に、私はインスタの使い方が分かんなかった。全然インターネットに器用では無かったのだ。

ツイッターも、学生時代は完全に張り付いて「ツイッターかそれ以外」みたいな世界の捉え方をしていたレベルだが、今はつぶやくことも少なくなってきて、自分で自分が寂しい。

だからこそ、また懲りずにブログに縋ってる。短文と華やかな写真でパッと目立つことはもう出来ない。

ブログという地味な切り口で知らない人に褒められたときのあの気持ちを思い出して楽しめれば理想的である。