たほ日記

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パワハラ雑感

6/1にパワハラ防止法なるものが施行されたらしい。私はこれを昨日初めて知った。パワハラを日々身近に感じながらも、政治や社会がパワハラとどう向き合い、どう対策を練っているかということについてはまるで無頓着だったのである。当然、これが施行されることが希望になるとは微塵も思っていない。

 

ヒプノシスマイク」の観音寺独歩くんの「BLACK OR WHITE」という曲がある。元サラリーマンのDOTAMAが作詞したことでも話題なサラリーマンラップで、過酷な労働環境で奮闘する独歩くんの生き様つーか有り様を刻々と積み上げているような曲であるが、私はこの歌詞とほぼ同じような生活をしている。本当は疲れ果てた推しを労わりつつもそこにセクシーさを感じるような言うなれば「過労萌え」がしたかったのに、それよりも自分の労働の異常さを再確認してしまうという事態だ。

※念のために書いておくが、完全一致しているわけではない。「社訓の唱和」はしないけど、「営業部長からの売り上げ向上号令」みたいなのを立って聞かされるみたいなことは往々にしてある、という近しさ。仕事で終電なくさないが、その分朝5時に出社するということもある。

これに加えて、私が最近悩んでいるのはパワハラである。しかし、自分がパワハラの被害を受けているわけではない。厳密に言うと、私の働いている部署の隣の部署が壮絶なパワハラ上司の管理下にあり、常に彼の部下に対する罵声がBGMとして流れているのである。

どういった内容で怒鳴っているかは意識的に聞かないようにしているので不明だが、大した問題でないことは容易に想像つく。彼は管理職が実務から遠ざかったばかりに暇になり、部下の粗を探しをしては叱責することくらいしかやることがなくなってしまっているようだ。相手はたまったものじゃないと思うが・・・

ある日、ひどい叱責を受けた人が職場で気を失ってしまったことがあった。私が思わず駈け寄ろうとしたら、パワハラ上司が私の近くに立っていたパーテーションを蹴り飛ばし、威嚇した。さすがに私も何もできなくなる。その後、救急車が来た。

その時はさすがに「こんなのおかしい!変えたほうがいい!」と考えた。ただ、会社にはあくまで仕事をしに行っているだけであり、それで特に不満も無い給料を貰っているのだから、生活を第一に、あまり余計なことは考えないほうがいい。そもそも私はパワハラの標的になっていないのだから、無視して「自分さえよければいい」という態度を貫いたほうがクレバーだ、そんなことを自分に言い聞かせながら働いてきた。

せめて隣のパワハラ部署に異動させられないように、私は今の部署でできる業務をしっかりと遂行することが必要だと考え、仕事に励んだ。私の代わりができないために、新規事業も一人でバンバン開拓し、僅かながら売り上げを立てた。ちょっとしたやりがいはある。だけど、この売り上げって遠回しにパワハラの恐怖が活きた結果なんじゃないかとふと思う瞬間がある。悪い歯車を自分が積極的に回しに行っているような感覚もあり、うっすらと自己嫌悪が宿っていた。

そしてつい先日もパワハラ上司が別部署の人間と「言った言わない」の非常に低レベルな怒鳴り合いをしていた。それを聞いて遂に私はちゃんとした大学まで出てどうしてこんなクソみたいな男よりも下の立場で働かなくちゃいけないんだろう、と悩み始めるまでに至った。どうやら巷には「環境型パワハラ」という用語も存在し、私の置かれている立場はこれに当てはまるのだろうが、今の私の問題はパワハラとどう付き合い、どうあしらっていくのか、ということから、一人のプライドを持った人間としてここに居続けてもいいのだろうかというところにまで発展している。

その日の夜、私は彼氏に「もう会社やめたいかも」と初めて言ってみた。彼は私の話を一通り聞いたあと、しばらくして「本当にやめたいなら、やめてもいいと思うよ。ただ、実際にやめる前にもう一度ちゃんと相談してね。」と言った。こうやって優しく冷静なコミュニケーションをとってくれる相手がいるという時点で私は大勝利を収めているのかもしれない。ただ、やはり「パワハラしたもの勝ち」という構図に組み敷かれていることには変わりないという認識は残っている。私のなけなしの正義感が、迷子になった幼女のように所在なさげにしている。

どれだけ考えても、パワハラ上司に対して、突如反旗を翻し、真っ向勝負にでるという考えには及ばなかった。これが成功して救われる人はいるかもしれないが、申し訳ないけど私は私のメンツと収入が一番大切だ。

 

それであなたはいいの?幸せなの?と訊ねてくる人はいるだろう。昔のお前はそうじゃなかったはずだと。野暮な質問はよしてくれ。誰も今さら観音坂独歩くんについて「そんなキャラ設定でいいんですか?過労で苦しんで自殺している人だっているんですよ?」と公式に問い合わせる人がいないように、労働と暴力とそれの慣習化は、あまりにもシームレスに繋がっているんだと思う。当事者じゃないくせにそんなこと言って、と私を軽蔑する人がいるかもしれない。でも、勘弁してほしい。私だってもう充分傷ついている。